過去の日記(https://tmp.notepin.co/)をこちらのサイトに写している。
以下、本文。
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温泉施設に来た。自宅から車で20分ほど。初めて来たが、泉質がトロッとしていて気に入った。
自宅から15分ほどの所にも温泉はあるのだが、そっちはどちらかと言うとサッパリ系で、湯上がりに肌が少しヒリヒリする感じなどが私の好みではない。たぶん塩分が多めに含まれているんじゃないか。私が温泉に求めるものは包み込んでくれる優しさであって、汚れをこそげ落としてくる厳しさではない。
設備が古くて脱衣所などの清潔感がなかったのは少し気になったが、休憩室は無料で使えるしWi-Fiもある。しかも驚いたことに漫画まであった。これはポイントが高い。
押見修造の『血の轍』が1巻から11巻まで置いてあって、思わず最後まで読んでしまった。最初から明るいところのない漫画だが、終盤にかけてますます絶望的になっていく。どう完結させるつもりなのだろう。
じつは去年買っていて1から8巻まで家にあるのだが、以降は未読だった。まさかここで読めるとは。ここで読めるんなら買わなくて良かったじゃんとは思ったが、まあいい。
お金のことをケチケチ気にしはじめるとキリがない。けれども最近の私といえば、ちまちましたお金の計算ばかりしている気がする。これがつまらない大人になるということなのだろうか。だが、人が社会の中で生きるということはこういうことなのだという気もする。
先ほども痛い出費があった。パソコンの充電器を失くしてしまって電気屋で新しく購入したのだが、4000円もした。払わずに済んだお金だと思うと、かなり痛い。が、失くしてしまった以上、買うよりほかに仕方がない。
そんなこともあって今日はここに来てたまの贅沢をするか迷ったのだが、結果的に来て良かったと思う。英気を養うのに往復30分ほどのガソリン代と入館料600円で済んだと考えたら、まあ安いものだ。
私が温泉に求めるものは優しさであって厳しさではない、と、冒頭に書いたけれど、厳しさもまた温泉の魅力だ。私はキンキンに冷えた水風呂に浸かるのが大好きで、それも温泉に行きたいと思う動機の一つだ。
水風呂に入らなかったら何のために温泉に来たのか分からない。そう言っても過言ではないかもしれない。締まりがないような感覚になる。メインディッシュの後にデザートを食べないと落ち着かないのに似ている。
お湯に浸かりながら鹿児島での日々を思い出していた。鹿児島には至るところに温泉があって日常的に温泉に入る習慣がある。私も本当にたくさん温泉に入った。温泉に入ってないとなんとなく調子が出ないような気がするのは、鹿児島で過ごした日々が影響しているかもしれない。
鹿児島ではふつうに生きていたらまずありえないような出会いがたくさんあって、家族の一員みたいに暖かく接してもらった。特別な時間だった。
自分自身が何を経験して、どんなことを感じてきたのか。どんなことを大切だと思うのか。それらはつまり、自分がどんな人間なのか、ということそのものだ。
そういう本質的なことは日常を過ごしているときにはあまり意識されない。普段過ごしている場所とは離れた場所で、普段過ごしているのとは違う時間の使い方をすることで、ようやく普段の自分の生活を顧みることができるようになる。