過去の日記(https://tmp.notepin.co/)をこちらのサイトに写している。
以下、本文。
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学生証を受け取りに放送大学新潟学習センターに来た。自宅から車で40分ほどかかった。久しぶりの新潟市だ。
自宅近くに生涯学習センターという施設があるのだが、そこの雰囲気に限りなく似ている。壁紙やカーペットの配色、蛍光灯の白い光、古い本から漂うなんともいえない甘い匂い。いかにも典型的な行政施設といった雰囲気。
こういう場所が、私はなぜか嫌いではない。不思議と懐かしさのようなものすら感じる。安心感といった方が近いだろうか。だとしたら何の安心感なのだろう。制度によって担保されているという安心感なのか。
こういういわば「行政くさい」ような場所を、生理的に受け付けない人もいると思う。そう感じる人の気持ちもわかる。息が詰まるような感じというか、欺瞞的な雰囲気を感じるのではないだろうか。
行政が主体となって作られた空間には、人の血が通っていないような無機質で冷たい感じが多かれ少なかれある。たとえば病院、市役所、学校やハローワークなど。
そもそもこれらの施設はデザイン性を求められていない。税金によって運営されていて、利用者の数をそこまで気にしなくていいからだろう。
それにしても。この壁紙やカーペットはいったい誰が選んだのだろう。この無難で、何の味気ないグレー。
しかし私は、こういう場所をそんなに嫌いになることができない。観察すればするほど嫌う理由はいくらでも挙がってるのだが、なぜだろう。
センターは新潟大学医歯学部キャンパス内にある。一応私も新潟大学の学生だったことがあるため、ゆかりがないわけではない。
しかし、このキャンパスには初めて来る。しがない地方の国立大学だが、医学部は国内でもそれなりに実力があると聞いたことがある。たしかに建物の雰囲気もどこか厳かで、ある種の権威のようなものを感じさせる。
医学部関係者のふりをして入場してみた。颯爽と敷地内の通路を歩き、何食わぬ顔で人とすれ違う。スーツを着た人は教授か、若者たちは学生か研修医かなのだろうか。何食わぬ顔をして歩く。
平静を装ってはいたが、内心少し緊張した。なぜこんな場所に通信大学の事務所があるのか。しかしちょっとしたアドベンチャーのような感じで面白い。非日常だった。
センターを訪れる人は高齢者が多く、やっぱりなという印象。彼らはなぜ学ぶのだろう。年齢的に考えて、学んだことを何かに役立てようと考える人は、おそらく少ないはずだ。
シンプルに学ぶことが好きなのだろうか。だとしたら、素晴らしいことだと思う。しかし、学問というより、それに伴う権威が好きなだけの人もいるような気もする。
放送大学の雰囲気は明らかに場違いだったが、かといって二十歳そこそこの若者で溢れる一般的な大学に飛び込むよりはマシのような気もした。
ともかく、どちらにしたって私は異質だ。しかし異質な存在は、環境に馴染むことを初めから望まなくてよい気楽さがある。
そもそも私はこの場所に多くを望んでいない。自分の望みを叶えるのに最高の場所だと思っていない。では、なぜ安くはない学費を払ってここに入学したのか。それはきっとこれからも引き継ぎ問い続けることになるだろう。
だが今はそれでいい。誰にも相談せず、自分で行こうと決めて、自分で稼いだ金を支払った。その事実がただ清々しい。
それにしても、大学のシステムは思った以上に古臭く、時代遅れと言わざるを得なかった。たとえば施設内のWiFiを利用するにしても、訳の分からない研修動画のようなものを視聴して試験に合格し、かつ、その証明書を発行して施設職員に開示しなければならない。ただただ形式的な手続き。いったい何の意味があるというのか。
だがまあしかし、そんなことももはやどうだっていいのだ。
受付の事務の女性と、少し話をする。形式的なルールにバカみたいに律儀に従っていたら、ポロッと本音のようなことを口にして大目に見てくれた。