過去の日記(https://tmp.notepin.co/)をこちらのサイトに写している。
以下、本文。
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一つの目標が与えられると、その達成に頭が縛られて良くも悪くも他のことに意識が向かなくなる。もちろんある目的を達成するには、最適なスケジュールを組んで、計画的に日々を送ったほうがいいに決まっている。
でも、計画によって失われるものもある。即興性、偶然性、身体性。日々刻々と移り変わっていく周囲の環境・状況と、自分自身の気分や感覚の変化。計画に縛られると、生きることの中にある瑞々しさのようなものが失われるような気がする。
六月最後の日曜日。もちろん今日も勉強しにカフェに来たのだが、いまいち集中できなくて、あっという間にもう二時間が経つ。こんなことなら駅前通りのイベントに顔を出してみたらよかった。昨日、ちらっと見かけた駅前のイベントは今日の四時には終わるらしい。現在、三時半。今から行っても間に合わない。あああ。勉強に集中できずネットでイベントについて色々と調べていたのだが、そんなことをするくらいなら実際に現地に行ったほうがよかった。
逆に、「今日は思い切って勉強しない!」と決断する力が無かったのかもしれない。惰性で机に向かっても、結局やる気は出ないのだから。同じことだったのだ。フラストレーションが貯まる分だけ、もっとひどいかもしれない。羽を伸ばす時間も必要なのだ。自由に精神を泳がす余裕が。
資格試験の本番まで残り四ヶ月を切った。まったくのゼロからスタートして約一ヶ月半ほど経った。仕事の都合で目指すことになった資格。我ながらよくやっていると思う。勉強自体は嫌いではないが、今までの人生でまったく考えたこともなかった内容である。話を受けたときはさすがに挑戦するかどうか迷った。しかし、自分なりに考えて、やることに決めた。
一つの道を選ぶというのは、別の道を選ばないことでもある。選ばなかった道の方が多い。選んだ道が一つなのに対して、選ばなかった道は無数にある。でも現実は一つの道しか選べない。だからこそ葛藤することになる。
そんなことで葛藤できるのも私がただ恵まれているだけなのかもしれない。自分の力だけで頑張っているとつい思いたくなるが、そもそも私の生活は私以外の人たちのおかげで成り立っている。例えば、一人暮らしができる家があるのも私の力ではない。
勉強に専念できるのもフルタイムで働いていないからこその話だ。労働時間が少なくても生活できるのは、空き家となった祖父の家に住んでいることで家賃や光熱費など生活費の一部を負担する必要がないというのが大きい。その点で考えれば私は間違いなく恵まれている。
そろそろ勉強するかな。まだあまりやる気は出ないが。