2022.07.03 ウソ臭い教科書

ak110
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一日かけて放送大学のテキストを読んでいた。やっと読み終えたのだが、微妙な気持ちになっている。

読んでいたのは、教育社会学概論のテキスト。内容に関心があったというより担当講師が放送大学学長の先生だったので、せっかくなら学長の講義を聞いてみようと思って履修登録した。

勉強になった面もある。これまで聞きかじってきたことが改めて解説されることで、頭の中で繋がった感じはあった。近代的な教育制度が成立する歴史なんかについても分かった気がする。しかし話が現代の事象について及ぶと古臭さを感じざるを得なかった。

保守的な価値観の人なのだろうなと思う。教科書ということで一応中立的に書こうとはしているようだったが、言葉の使われ方や話題の取り上げ方などを見る限り、文章の端々に保守的な考えが透けて見えた。

例えばニートやフリーターについて言及した箇所。何の疑問もなく「解決すべき問題」という前提で話が進んでいく。そもそもニートとフリーターを一括りに論じているところも解せないのだが、それらがまるで学校教育による子供たちの「社会化」の失敗例のように取り上げるのは違うんじゃないかと思った。

そもそもニートもフリーターも厳密に学問的に定義された言葉ではないというか、控えめに言っても使い方に注意の必要な言葉だと思うのだが、何の定義もなく平気で使っていた。ほかの用語についてはかなり細かく語義を確認していたのに。

また「若者の行動がコンサマトリー化している(刹那的になっている)」「かつての若者はもっとまじめにこつこつ将来に向けて準備するような行動をしていた」というような言説の本も肯定的に紹介されていて、え、と思った。若者についての論じた本なら、他にもっと有名な本はある。文献のチョイスに恣意性を感じる。

そもそも、仮に現代の若者の行動が刹那的だとして、その何が問題なのか分からない。社会が流動化して長期的な見通しを描きにくくなっているのは、若者のせいではない。むしろそうした現代の社会状況に適応した結果とも言える。

コンサマトリーとは心理学の概念で「完了行動」と訳されるそうだ。摂食や射精のように、欲求が充足すると動機が消滅するような、欲求と行動が一対一対応した行動を言う。それに対して「欲求行動」は、ある欲求を達成するための準備過程を含むような概念とのこと。

目的を達成するために禁欲的な行動が必要となるときもある。でも、行動することそれ自体がすでに目的であるような、そういう行動(=「完了行動」)の何が悪いのか。いや悪いとは別に明確に書かれてはいないのだが、なんとなく釈然としない感じがした。

終章では「生涯学習」について論じられていたが、綺麗事というかウソ臭かった。学習すること自体が喜び(=完了行動)でなければ、人はどのように学習に動機づけられるというのだろう。平たく言えば、楽しいからやる、つまり雑学や趣味と同じようなものではないのか。

社会人学生を多く抱える放送大学だからこそ、「生涯学習」についてもっといろいろと新鮮なことが聞けるのではないかと期待したが、何の目新しさもなかった。