2022.06.21

ak110
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過去の日記(https://tmp.notepin.co/)をこちらのサイトに写している。

以下、本文。

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ネットに文章を書きたいという気持ちはあるのだが、全然うまくいかない。このところ、てんでダメ。書かないとどんどんダメになるので、とにかく何かを書こうとはするのだが、そういうときほどダメダメで、書けないフラストレーションばかり募って尚更イヤになる。どうしたら書けるようになるのか。

体力的、気力的、時間的に厳しいということは、もちろんある。とくに最近はやることが増えて余裕がない(こんなことばかり言っている気がする)。現実的に考えると、文章を書いているヒマがあったら、他にやるべきことがあるようにも思う。しかも私は筆が遅い。どうしても短く早く文章を書くことができない。だからこそ余計こんなことしている場合じゃないという気持ちになる。

とはいえ、生きていれば日々何かしら思うことはあるわけで、考えてみたらそれをそのまま書いたら、いっちょあがりのはずなのだ。思っていることを話すのはそれほど難しいことじゃない。だとすれば、それをそのまま文章にすれば済むはずなのだ。しかし、それができない。どうしてなのだろう。

なんとなく、他人との会話に似ているなと思った。たとえば、同じ屋根の下で誰かと同じ時間を共にしているときなら、日々の思いやどうでもいい世間話をいつでも何気なく話すことができる。でも、ひとたび離れて別々になると、わざわざ電話やLINEをしてまで、どうでもいい話をすることはなくなる。

そういえばいつだったかのクローズアップ現代で、常時ネットに接続して、絶えず友人とコミュニケーションを取り合う若者の様子が取り上げられていたことがあった。なかには互いの位置情報を公開し合って、一緒にいないときでも誰がどこで何をしているのか把握できるようにしているような人までいるそうだ。さすがに隔世の感があった。

私自身、ゆとりだのさとりだのミレニアル世代だの、いろいろな形で年長世代から「最近の若者は異質だ」とみなされてきたと思うけれど、自分より若い今の二十歳くらいの世代は、明らかにまた自分たちとも違う何かを持っているように感じる。私も若者でなくなってきているということなのだろう。