2022.07.01 社会に思うこと

ak110
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こうなるとは分かってはいたが、酒を呑んだら途端に集中力が切れて勉強どころではなくなり、勢いで訳のわからないツイートをしてしまったのでツイ消しをする。

選挙が近いということもあって、経済とか政治とかについていろいろ調べているのだが、そのたびに絶望的な気持ちになる。先進国の中で日本だけがダメみたいな言説に触れるたびに、なんなんまじでという気分になる。こんなことを言ってはなんだが、そんなことはおれが二十歳くらいの頃から知っていた話である。責任ある立場の人が誰も根本的な改革をしないまま問題を先送りにしてきたせいで、なし崩し的に社会が悪くなっていく。そう感じざるをえない。

そもそもコロナ以前から、日本はずっと長すぎる不況と社会の閉塞感に悩まされてきたわけで、東京五輪による一時のブーストが終わったらいよいよヤバくなる…なんてことが数年前はまことしやかに言われていた。そこへコロナが来て、巨大な負債を残した五輪の失敗があり、政治・社会・経済の目に見えた混乱があった。

さらに二年が経って、諸外国は景気が回復傾向にあるとのことだが、日本はどうか。いまだにマスクを外そうという気運さえ盛り上がらない。新型コロナの五類相当への格下げも実現していない。多少人出は戻ってきたにせよ自粛ムードの名残のようなものはまだずるずる続いている。そこへ畳み掛けるようにロシアの戦争、それに伴う物価上昇が起き、また一段と混迷を深めている。世相は暗い。

ただ、社会の問題と個人の問題は切り離して考えなければならない。

「若い世代が希望を持てる世の中に」などという言葉を聞くと、いやほんとその通りですよねと思ったりもするのだが、仮に社会が良くなっても個々の人生が良くなるとは限らないわけで、希望という言葉をそんな風に使っていいものかよく考えると分からなくなる。

希望ってなんだろう。おれにとっての希望ってなんだ。ほかの人たちはそういうものを持って日々を生きているんだろうか。

そういえば、かつて希望の党なんていう一瞬で消えた党もあったが、希望なんていう大仰な言葉はそんなに安易に使うものじゃないと思う。私の希望、あなたの希望、というものは日々の中にたしかにある。しかし私たちの希望、あなたたちの希望、というものはあるのか。この社会としての希望、この国としての希望、そんなものはあるのか。あらゆる人が一つの希望を同じように抱くことはできない気がする。

自分の人生は自分でやっていくしかないから、最終的には、社会のせいにも他人のせいにもできない。だからといって、何もかも自己責任で片付けられるわけでもない。社会の中で生きている以上、社会と無関係に生きていくことはできない。自分と社会の距離感というか、その塩梅が難しい。

どこまでが個人の問題で、どこからが社会の問題なのか。何を変えることができて、何を変えることができないのか。その峻別ほど難しいものはない。