人生にスポットライトがあったとしたら、
そんなことをふと思った。
僕にとって、スポットライトがあったとしたらそれはどんな色だろうか。どんな光り方で、いつ僕を照らしてくれるのだろうか。
いや、もしかしたら受け身だったら照らしてくれないのかもしれない。なんなら僕自身が誰かのスポットライトになりたいんじゃないか。
そんなことを考えていた。
僕は日記を書く時、真面目になりがちなのだが、どちらかというと“暗さ”のようなものを題材にすることが多い。
たぶんネガの感情が大きくなるほど、こうやって日記に向かうような気がする。
ただ、今が落ち込んでいるとかではなくて、むしろ絶好調。負けてたまるか、とさえ思う。
その負けてたまるか、には様々な意味があるのだけれど、一番はおそらく「今の自分に負けたくない」という感情なのかなと思う。
ちょっとちがうか。
正確にいうと、コンマ何秒か前の過去の自分に負けたくない。ネガに飲み込まれようとする弱き自分に、安きほうに行きたがる自分に、このままでいいんじゃないかと思うあの自分に。
これは人によって、捉え方はちがうのかなと思う。
この考えはマッチョかなとも思うし、ドMだなとも思う。でも、人を落とすくらいなら、僕が僕を落とす。あとで這い上がると知っているから、瑛は這い上がると知っているから。
話はそれたが、人生にスポットライトがあったとしたら、それは人によってちがうだろう。
僕にとっては「言葉」である。
暗さをともに生きる、
言葉に何度も救われている。
それは文章かもしれない。ふとかけられた一言かもしれない。音楽の歌詞もそうだな。
僕を照らしてくれる。僕と照らしてくれる。
そんなスポットライトがあったとしたら、僕は何度もあの暗さと向き合おう。
それはきっとわるいことではない。
それはきっとあなたにも、あてはまる。