ゆれる/EVISBEATS feat田我流
この心がゆれる時がある。それはバイト帰りのサンセットだったり、本の中に答えを見つけた時だったり、またはステージの上でハイな時だったり、好きな子とまったりな時だったり、たまたまDigした1枚のvinylだったり、感動して頬伝う涙だったり。
生きてるって実感味わうその瞬間ほんの一瞬、その一瞬を求めて猫みたいなbitch追いかけるのに必死、人生の魅せる美しきワンシーン。そのまた不思議なパートに魅せられとどのつまり、夢から夢へと綱渡り、社会から見れば窓際の人。でもいつに生まれても俺は俺だと、時代に合わせ呼吸するつもりはなく、人であることを選び、求めるluv。doorsのようにlight my lifeあのjazzmanみたいにnever retire。
音の中に生きると決めたこの人生、まだまだ未熟で俺は小せえ。でもどうせやるならばこのまま挑戦。誰かがゆれる為の曲を書こうぜ。今日は残りの人生の始めの1ページ。まだまだやりたいことが山積みさ。
心がゆれる、動く、時が僕にもある。
たまたま見つけた本の一節。これは自分自身を励ますと確信じみた感覚をもって見た映画のワンシーン。はじめて行った場所でみつけた広大な景色。年をとればとるほど良さに気づける祭りでの笑っている顔。大好きな人たちと行く旅行でのほんの一瞬。
そんな心がゆれるような体験が僕にはある。
以前僕はこんなnoteを書いた。タイトルは『「生きててよかった」と思える体験を。』
「生きててよかった」と思える体験には 「何をするか」も大切ですが、今回の体験を通して気づいたのは、誰といくか。どこへいくか。そして、何をするか。
僕にとっては、誰とどこに行くかがとても大切。一人でももちろんいいけど、また来た時に何かしら誰かに伝えたい欲はある。
そして、心がゆれた時、それはチャンスだ。
そのゆれを言葉にすること。何を感じたのか、どう思ったのか、そこから得られたことをどう人にわかりやすく伝えるのか、あきらめないこと。
ぼくは、いや、ぼくらはおそらく「わかられたい生き物」でもあると思うから、そのために表現することをあきらめない。
心のゆれに、貪欲に。
気づきやすい時期だからこそ、その気づきを言葉に変えていきたい。そう思っているのは、ぼくだけじゃないはず。
今日も読んでいただきありがとうございました。今は「18歳の成人式」という、伝えることがなかなかむずかしいイベントをどう伝えていけるか、そのことをとことん考えています。もし良かったら一緒に考える仲間になってください。