雑草

最近、強く、「自分は雑草」だと思うようになった。

出自もバックグラウンドも何もない人間が、たまたま「いまここ」に生きているだけ。私はただ命を繋いでしぶとくここにいる、というだけ。葉が千切れても根が少し残っていたからまだ生きているだけ。

時間や環境の変化によって、自分は花ではないんだとより強く認識させられる。そもそも生まれてこの方ずっと雑草だった。若い頃はただ無邪気に「同じ植物なのだから雑草でも別に」と思っていた気持ちも、年を追うごとに無邪気ではいられなくなっていく。

私には花になる努力や熱意が足りなかった。自らの責任範囲の中で、花に変わる機会を逃した。だが、たとえ私が同じ人生をループして "ブラッシュアップ" しようとも花になることはないだろう。たとえ葉が生え変わったとしても、同じ根から出る葉はいつも同じだ。

『葬送のフリーレン』一期の最終話(#28)はゼーリエの花園で「ゼーリエが試験参加者を一級魔法使いと認めるかどうか」を軸に会話が進む。

このツイートの通り、私も花言葉で上手いことを言おうとする演出にはあまり良い手とは思わない。だがそれは私が花の名前や花言葉を覚えようという意志や力がないからで、雑草らしい態度かもしれない。

そして言うまでもないが、ゼーリエの花園に雑草の居場所はない。

しかしあの花園の外には、多様な人々が生きているはずなのだ。であれば、雑草の私がするべきは、雑草であることを受け入れ、雑草であることを意識せず、何も考えずにしぶとく生きることだ。つまり一言で表せば「気にしない」ということだ。


でも、どうせフリーレンで例えるなら雑草よりも「魔族」という表現の方が適切な気もする。

@akirafukuoka
福岡陽(akirafukuka) NTTコミュニケーションズ デザインスタジオ KOEL 所属 ntt.com/lp/koel ブランドストラテジストとして「善いブランドを創る」ためブランド/ストーリーテリング/デザインを扱う仕事をしています。