ここらでいっちょ「ナラティブ」語っときますか

Twitter(現X)で再び「ナラティブとはなんぞや」という話題が盛り上がっている。まず "物語" を意味する英単語としてストーリー(story)とナラティブ(narative)が存在する。"お話" という意味のテイル(tail)もあるが省略。

ゲーム業界では2010年代前半ごろからゲームにおける脚本術や体験設計のような意味合いで「ナラティブ」というワードがよく使われるようになった。ゲームだけでなく映画やマーケティングなどビジネス界隈でも用いられるようになったのはご存知の通り。

こういう語句は一定の定義は存在するものの、話者の定義によってブレが生じるものなので(デザイン思考もそうですよね)、ここでは私は「ナラティブの意味は何が正解か」ではなく「私はナラティブという語を考える時にこういうポイントを見るとよくないっすか?」を語る。

結論から言うと、ナラティブは「情報の与え方をコントロールすると、ストーリーの体験をもっと面白くできる」という考え方だ。

「ナラティブ」は聞き手の体験

「ストーリー」が意味するのは連続した出来事の客観的事実だ。桃太郎で言えば桃から生まれて、きび団子をもらって、動物を仲間にして…という出来事を第三者的に観測した情報である。出来事が前後したり、内容がひっくり返ることはない。事実は事実であり、きび団子はきび団子。実はみたらし団子だった、ということはないわけだ。

「ナラティブ」は英語辞書で調べてもわかる通り "説話" や "話術" の意味を含んでいる。例えばあなたが友人から話を聞いているところを想像してほしい。当たり前だが、話者である友人は自分が話すことの順番や内容の詳細度をコントロールすることができる。逆に聴者であるあなたは話者が話している内容を順々に記憶し、自分の頭の中で物語を組み立てていかなければならない。この非対称な状況の中では、話者は匙加減ひとつで「話者の受け取り方」をコントロールすることができる。

例えば、先の桃太郎の話も「おじいちゃんおばあちゃんに大事に育てられた少年が」「動物を仲間にして」「勇敢にも鬼を倒して村を救ったんだ」「…でもね、実はあの少年は "桃" から生まれたんだよ…」と情報の開示の順番を変えるだけで一気に不穏な話になるだろう。

これがナラティブの正体であり、同じ内容のストーリーをどう伝えると面白くなるかを考える技術、というのが私のナラティブ解釈。小説における叙述トリックもナラティブの一種と言っていい(はず)。

「ナラティブ」とはバイアスである

そしてもっと単純化するとナラティブというのは「聴者の思い込みを利用する」ことだ。先の桃太郎だと、一見普通の純朴な少年に見える、というバイアスをかけているからこそ「実は桃から生まれていた」という衝撃展開に価値が出てくる。

映画の脚本も同様で、よく私が例に挙げるのが『ズートピア』。

そしてゲーム「基本的にプレイヤーの主観で進む」「プレイヤーが能動的に行動していると感じやすい」「ゲーム側からも多様な情報の伝え方を選択できる」という点でナラティブと非常に相性がいい。『Celeste』の成功例を見てもわかる通り、特に予算の限られたインディーズタイトルでは、ナラティブを利用することで少ない原資で最大のプレイヤー体験を生めると考えれば大きな武器になる。

——と、基本的にナラティブはシンプルに技術論であって、すごい一生懸命に語ることではないかな〜というのが私のスタンス。あとそのほかのゲームにおける事例はいずれ自分のブログで紹介するためにとっておきたい。『ゼルダの伝説 ブレス オブ ザ ワイルド』とかね。

「ナラティブ」は暴力か

最後は「ナラティブは非常に便利な手法だが、ありがたがっているばかりでいいのか」という問題提起で終わらせたい。ナラティブは大なり小なりのショックを与えることで驚きや笑い、関心、感動を生む手法だが、そこに危うさはないのか?そろそろ考えてもいい段階に入っているのかも。

上のツイート(現ポスト)は『さよなら絵梨』をきっかけにした、2年前の自分の投稿。…もうあれから2年経ったの???

@akirafukuoka
福岡陽(akirafukuka) NTTコミュニケーションズ デザインスタジオ KOEL 所属 ntt.com/lp/koel ブランドストラテジストとして「善いブランドを創る」ためブランド/ストーリーテリング/デザインを扱う仕事をしています。