まず最初に、この文章はゲーム『The Last of Us』『The Last of Us Part II』のネタバレを含みます。未プレイの方、PS4/PS5を持っているのにプレイしたことがない方は、今すぐ『The Last of Us』『The Last of Us Part II』を購入しプレイしてください。本気で言ってます。
noteで以前から記事を購読しているJiniさんが『The Last of Us』(以後Part I)の続編である『The Last of Us Part II』(以後Part II)に関する記事を公開した。
内容は直接記事を読んでいただくとして、Jiniさんの「Part IIは正しく批評されていないよね」という主張は首がもげるほど同意したいし、『The Last of Us』ディレクターであるニール・ドラッグマンがどのような作品に影響され本作を作るに至ったのか、制作スタジオのNaughty Dogの背景も含めて説明しているパートはとても素晴らしく、とにかく勉強になる内容でぜひみなさんに読んでほしい内容。
…のだが、個人的に気になったのは文章後半の「Part Iは当時過激なことができなかったため、ニールさんが作りたい物語ではなくなってしまった」「なのでPart IIはニールさんがPart IIで描けなかった過激なことが描けるようになったので方針を変えた」というJiniさんの推測の部分。
私もストーリーを推測読むことは多々あるので完全にブーメランなのだが、私はPart Iは普通にニールさんが描きたい内容になってる気がするし、どうもPart Iを読み違えているような気がする。そもそも話の発端だった、世の中のPart IIに対する誤解って「Part Iを読み違えている→主人公であるジョエルの捉え方のズレ」から始まっているのでは?と思い、今回は改めて「Part Iが何を語っているストーリーなのか」を整理したい。
エリーは、サラの代わり。
Part Iのあらすじは以下の通り。
人が凶暴化するウィルスのパンデミックが発生、主人公であるジョエルは最愛の娘のサラを失う。
世界崩壊後から20年後、"何でも屋" で生計を立てていたジョエルは、ウィルスへの抗体を持つ少女・エリーをファイアフライと呼ばれる組織まで送り届ける依頼を受ける。エリーの抗体からワクチン的なものが作れるらしく、世界を救う可能性を教えられる。
ジョエルとエリーは反発し合うが、道中なんやかんやあって、心の絆が結ばれ次第に "親子のように" 仲良くなる。
最終的にファイアフライの本部である病院に到着するが「薬を作るためにエリーから脳を取り出す手術が必要→エリーが死んでしまう」ことが発覚し、ジョエルはファイアフライの医師やメンバーを殺害。薬で眠っていたエリーを抱え逃走する。
ジョエルはエリーに「病院にはエリー以外にも免疫を持っていた人がたくさんいた、ファイアフライも薬の開発をやめていた」と嘘をつく。それが信じられない様子のエリーがジョエルに「嘘じゃないことを誓ってほしい」と訴え、ジョエルが「誓うよ」と返し幕を閉じる。
さて、この話の一番重要なポイントは「ジョエルはエリーにとっていい父親なのか?」ということだ。世界を救う薬の引き換えに失われてしまうはずだった、エリーの命を守ったジョエルはいい父親?本当に?というのがこのストーリーのテーマだ。「ジョエルは本当にエリーのことを思って、エリーをファイアフライから奪い返したのか?」もっとストレートに言えば「ジョエルは自分のためにエリーを奪い返したんじゃないのか?」
ジョエルの最愛の娘だったサラ。劇中、ジョエルはサラからもらった腕時計を壊れてもそのまま身につけ続けている(2人の繋がりが壊れたという意味でもあり、ジョエルの時間が止まったままである、という素晴らしい演出)。やはりジョエルの傷が深いのか、物語の中盤まではエリーやジョエルの弟であるトミーがサラのことに触れるたびに、ジョエルは強めの拒絶を見せる。特にトミーがサラの写真を渡そうとすると「本当にいいんだ」と言って受け取りを拒否するし、エリーがサラのことを聞くと「お前はまだ本当の悲しみを味わっていない」と反発する(さらにその後ジョエルは「お前は娘じゃないし俺はお前の父親じゃない」とはっきりと言う)。
ところが最終盤でジョエルは、エリーから渡されたサラの写真を、これまでの反発が嘘かのようにあっさりと受け取る。それはジョエルの心の傷が癒やされたから?なら壊れた腕時計は(物語の作法としても)もう必要ないはずだ。ジョエルの心は癒やされていない。ジョエルはサラの代わりになるもの——つまりエリーを手に入れたのだ。
悲劇の構造
さらにPart Iにはジョエルと比較するような形で2人の "父親" が登場する。
幼い弟のサムを守る、兄のヘンリー。サムが感染者になってしまい、ヘンリーは撃ち殺すも、そのショックを受けれられずに自ら命を絶ってしまう。
ハンターグループのリーダであるデビッド。最初は友好的に見えたものの、エリーを捕まえペットのように扱うが、最終的にエリーに殺される。
物語とは比較である。愛するものを守れなかったショックで「自分の心を壊すほど」傷ついているのはヘンリーもジョエルも同じだ。そしてエリーを "娘" として支配しようとしたデビッドとジョエルも比較されるために配置されていると考えるのが自然だろう。ジョエルはデビッドからエリーを奪い返すために手段を選ばなかった(デビッドの仲間を拷問し居場所を聞き出す)。さらにデビッドはエリーによって殺されており、ジョエルは一切手を下していない。つまりストーリーが言いたいのは「デビッドとジョエル、何が違うんですか?」ということだ。
極め付けは「誓って」の前のエリーのセリフ。そもそもエリーは親しい友人であるライリーと同じタイミングで感染者に噛まれており、その際のライリーの「最後まで戦って足掻こう、どうせ最後はみんな一緒におかしくなっちゃうんだからその時を待ってればいい」という言葉を引用する。それに対してジョエルは「絶望していても足掻くために、戦う目的を見つけなければいけないんだ」と返す。2人の "戦う意味" の順序が決定的に違うことが明らかになってからの「誓って」につながっており、「ジョエルはエリーの気持ちを裏切っている」というのが明らかなエンディングである。
そう、ジョエルは間違えたのだ。主人公が過ちを犯す、つまりこの物語は悲劇である。主人公が決定的なペナルティを負っていないからそれがわかりにくいだけで、主人公が成長せず過ちを犯すというのは悲劇の構造である。
ここまで書けばPart II冒頭でジョエルが死んでしまうのはPart Iの悲劇のペナルティがずれ込んでいるだけだということがわかるだろう。
つまり冒頭に書いた「世の中でPart IIが誤解されてるよね」とは「なんで前作主人公のジョエルがいきなり死ぬの?=ジョエルは悪いことしてないのに!」という解釈から来ているのであり、「Part Iのジョエルはエリーを救ったヒーローや!」「ジョエルはエリーに嘘をついてでもエリーを守りたかったんや!」「エリーもまあ納得してくれてたやんか!」というストーリーの読み方がだいたいの発端になってんじゃないの、とは感じますけどねえ。
オヤジのカッコつけた自己犠牲はもう辛い
私は今回初めて知ったがJiniさんの記事にもある通り、「誓って」エンドは開発終盤に差し替えられたもので、当初は
病院脱出までは同じ
ジョエルの隠れ家に2人で隠れるがファイアフライの追手が迫り、ジョエルはエリー1人を逃す
エリーはジョエルが死ぬ気であることに気がつき隠れ家に引き返し、間一髪でジョエルを助け出す
という内容だったらしい。なるほど——いやなんかキツくないですか…?映画『レオン』を令和の目で見る時のキツさというか、少女に対して自己犠牲する父親であるオレ的な感じというか、父親にとって都合のいいように育てた娘いいわ〜的というか…。ディレクターのニールさんが「開発中に自身に娘が生まれて、元のエンディングに納得できなくなった」という話、私は超わかる。
この理由について、ニールは自身が納得できなかったという理由を語っている。特に『The Last of Us』開発中に自身に娘が生まれたことで、果たして父親として娘に何をするべきか、それは彼女をできるだけ自由にしてやることであって、(旧エンディングのように)彼女の未来を束縛することではないというのが、IGDA Toronto 2013で語った表面的な答えであった。
なので私は "表面的な答え" にはあんまり感じないなあ、と思いました!なので「ジョエルが自分の心を埋める存在としてエリーを取り返し、その薄寒さを感じる嫌なエンディング」を描くことが、父親としての誠実な態度だとニールさんは感じたんじゃないかな。
…とここまで色々と書いて実は私のツイートに対して非常に端的に語ってくれた方がいらっしゃいまして…。
もうこの通りです。このエントリー書く必要なかったのでは…???
Jiniさんもこの後Part IIのエリー編・アビー編をそれぞれまとめられるとのことなので楽しみです。正直私はPart IIに対してPart Iほどにきれいな答えを出せていないので(復讐を軸にエリーがジョエル同様に "間違えて" いく&アメリカ史における "過ち" を重ねて描いているのはわかるのだけれどすべてをまとめるだけの知識とパワーがない)、本当に楽しみにしております。みんなも読もうゲームゼミ!