「マンガの面白さ=解像度」説

福岡 陽 / KOEL
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公開:2024/2/9

これまでマンガをあまり読まない人生だった。しかしApple Books(日本スタート当時はiBooksという名称だった)の登場によって私の人生に少しずつマンガの登場シーンが増えてきた。最近ではWebマンガも触れるようになったが、中でもジャンプ+は日常的にアクセスしている。

ジャンプ+の面白いところは、ジャンプの「新人主義」を反映して読み切り作品が多く掲載されるところだろう。また連載に関しても「素人目に見てもこの人が連載を持つの、ちょっと早すぎませんか…!?」という作家さんの作品も積極的に掲載していく。ルーキーに限らず、今をときめく若手やベテランまでひしめき合っているのがジャンプ+。

なのでジャンプ+を見るということは即ち「同じ媒体で、力量の差があるマンガに触れられる」ことでもある。そのおかげで、マンガというメディアに関しても多少理解が及ぶようになったし、ある程度論じられるだけの目が鍛えられたと(勝手に)感じている。で、私なりに面白いマンガとは何か、という答えが出たのだが——

面白いマンガは解像度が高い。

はい出ました「解像度」。な〜〜んかそれらしいことを言っている風になる便利ワードですわ〜。でも私の分解能では今はそうとしか言いようがない。

マンガは映像作品と同様に没入するメディアだ。だがタイムラインの再生速度を読者が完全に握っているメディアであるため、読者は容易にその没入を "解く" ことができる。つまりそこで読むのをやめちゃう。やめないまでも心が離れてしまう。で、それはいつ起きるかというと、マンガの「解像度が下がる瞬間」が多いのでは、というのが私の仮説。VRゴーグルだって突然に解像度がぼやぼやになったら「なんだやっぱり作りもんじゃん」ってなるでしょ。ここまで書いて気がついたけど、マンガを読み続けられる環境の比喩としてのVRゴーグルは相性がいいかもしれん。まず読み続けること=VRゴーグルを被り続けることが重要だもんね。

話が脱線した。で、問題なのはマンガの解像度をつかさどっているのは絵のうまさ云々だけではないこと。例えば設定の薄さを感じた瞬間は没入が切れやすい。よくあるのが「天才描写」。絵の天才キャラが個展で描いた絵から全然天才性が感じられないとなかなか辛い。「お金持ち描写」とかも同様。金持ちはそんなとこでご飯食べないでしょ、とか。あと社会的な問題を取り上げるような作品も増えてきたけれど、課題に対する作者の理解度が低いと感じられた瞬間もなかなか辛いものがある。

こういう設定上の解像度の低さを避けるために綿密なリサーチが重要だよなあと思うんですが、そもそもマンガが嘘八百な世界なのでそれだけじゃ足らないんでしょうね。いかにうまい嘘をつくか。私たちの知っている現実とマンガの内容を繋げながら、もっと知りたい、読みたいと思わせる解像度の高い嘘。

ダンジョン飯 1巻

九井諒子さんの『ダンジョン飯』なんてその極北ですよね。私たちの世界の生き物や食材、料理に対する深い知識を前提として「モンスターって食材として見るとどうなんだろう?」を見せるから解像度がとても高く感じられる。嘘八百なのに!そうなると「もっと見たい!知りたい!」となってもう没入が止まらないですよ。はいコミックスも読んだらアニメも見ようね約束だよ。

ほかの解像度の例(BLAME!の中で「何が描かれているか」を理解が追いついている人はほとんどいないと思うがおそらく多くの人が解像度の高さを感じているであろうこと、など)をあげたらキリがないのでここら辺で。

じゃあ「解像度」はどうあげたらいいのか?ここも何となく私の中で仮説が出てきつつあるし、もうちょっと具体のマンガの話もするべきだと思ったのでそれは次回に。

@akirafukuoka
福岡陽(akirafukuka) NTTコミュニケーションズ デザインスタジオ KOEL 所属 ntt.com/lp/koel ブランドストラテジストとして「善いブランドを創る」ためブランド/ストーリーテリング/デザインを扱う仕事をしています。