サガシリーズ考察(1):ロマンシング サ・ガにはなぜ「フリーシナリオシステム」が必要だったのか?

⚠️この記事はゲーム『ロマンシング サ・ガ』『ロマンシング サガ -ミンストレルソング-』のネタバレを含みます。

『ロマンシング サ・ガ』は1992年に発売された、8人の主人公から1人を選択し、マルディアスという架空の世界を舞台に冒険するRPGだ。

スーパーファミコンのゲームなので現在遊ぶことが難しいが、ストーリーが同一のまま3Dリメイクされた『ロマンシング サガ -ミンストレルソング- リマスター』が発売されているため、SwitchやSteam、スマホで遊べる環境が整っている。

『ロマンシング サ・ガ』はサガシリーズの4作目にあたり、サガシリーズは河津秋敏氏がディレクター/シナリオをほぼ一貫して担当している。河津氏は『ロマンシング サ・ガ』ではさらにシステムデザイン・バトルデザインにもクレジットされており、つまりゲームのストーリーとシステム両面で河津氏のエッセンスが詰め込まれた作品と言ってもいいのだろう。

フリーシナリオシステムとは

『ロマンシング サ・ガ』最大の特徴は「フリーシナリオシステム」。通常、RPGでは決められた一本道のストーリーをなぞるように進めるのが常識。しかしプレイヤーの行動や選択によってストーリーの展開が変わる。どこへ行くのか、イベントの発生順番は自由、イベントの結末も複数用意され、重要そうなアイテムの取得やキャラクターの生死すらもプレイヤーの選択によって変化する。例えば強力な武器・アイスソードを持つキャラクターに対して出る「殺してでも うばいとる」という選択肢は有名(選ぶと相手は本当に死ぬ)。

これはおそらくテーブルトークRPGの特徴をテレビゲームに取り込んだアイデアであり、例えば現代では2023年発売の『バルダーズ・ゲート3』のようなプレイヤーの行動による多様なストーリー分岐を表現するゲームの先駆けともいえよう。(ちなみに河津氏の最新のインタビューではテーブルトークRPGの思い出や体験がサガシリーズの開発に活かされていることが語られている)

さて、『ロマンシング サ・ガ』は8人の主人公が出自も当初の目的もバラバラな状態で旅を始め、道中は自由度の高い遊び方ができる。にも関わらず、実はどう遊んでもエンディングに大きな変化はない。さらにいえばラスボスは邪神サルーインで固定である。

もちろんスーパーファミコン時代のゲームなので容量の限界があり(実際容量の都合で没になったイベントがある)、制作期間も限られたものである以上多様なエンディングの実現は難しかったかもしれないが「自由度が高いストーリーを目指すなら、結末も自由」というのが自然な発想ではないだろうか?

これでは「フリーシナリオシステム」の看板に偽りありでは?——と思えてくるが、これには演出上の明確な理由があることがストーリーを読むことで見えてくる。

自由だからこそ強調される "運命"

プレイヤーはどうプレイしようと、結局先々でデスティニーストーンという特別なアイテムを集め、その力を使い邪神サルーインの復活を阻止することになる。

それもこれも世界各地でなぜか出会うことになる吟遊詩人が主人公に道を示した結果であり、後に吟遊詩人の正体はエロールという名の神であることが判明する。

どうやら大昔、"良い神様" であるエロールが人間の英雄ミルザとともに邪神サルーインを封印したらしいのだが、1000年の時間経過にともない封印が解け、今にも復活しそうなのだという。それをプレイヤーに阻止してもらいたい、というのがエロールの考えだ。そしてプレイヤーは(時に反発しつつも)エロールの考えをなぞるように行動し、エロールに "プロデュースされた" プレイヤーは最終的に邪神サルーインを打ち倒す。

そう、プレイヤーはまったく自由ではなかったのだ。「てっきり自由に行動していたと思っていたプレイヤーは、実はエロールの手のひらで転がされていただけだった」という真実を強調するために「フリーシナリオシステム」が必要だったのだ。もしかすると河津氏の視点ではゲーム的な新要素である「フリーシナリオシステム」を最大限活かすためのシナリオを用意した、という言い方もできるかもしれない。

『ロマンシング サ・ガ』の白眉はこのシナリオとシステムが融合したストーリーテリングを、初期スーパーファミコン時代というテレビゲーム黎明期に実現してみせたことにあると思う。

ちなみに設定上、マルディアスの地でエロールを崇める「エロール教」を広めたのは先の吟遊詩人——つまりエロール本人である。少なくとも私には「人間の信仰を得るために、サルーインと人間の戦いをプロデュースしている」ように見える(が、これが正しい解釈とは断定しません)。そういったところからもエロールからは現実の宗教や国家のモチーフを感じることができるし、特に当時起こっていた湾岸戦争の影響を感じるところだが、今はこれくらいにしておきたい。

"運命" とはストーリーテリングが向き合う敵そのもの

サガシリーズはコアなファンを擁するIPだが、私が見える範囲では「システムによって演出されたストーリーテリング」という点が評価されている様子を見たことがない(すでにしている人がいたらごめんなさい🙇)。私は河津氏が日本のゲームクリエイターの中でももっともっと注目されるべき人物だと思うのだが…スクエニのYouTubeチャンネルで河津氏のロングインタビューが最近公開されたのでぜひこちらも見ていただきたい。

サガシリーズは常に "運命=性(サガ)" との戦いを描いている。ここでいう "運命" は何かロマンチックなもの指しているのではない。『ロマンシング サ・ガ』で描かれた(利己的な)神による邪神との戦いへの誘導——つまり宗教や国家のような私たちが抗えない "しくみ" を敵として描いている。そもそも世のストーリーというのは "運命" を引き起こす存在との戦いを描くものだ。避けようがない暴力、理不尽な制度、人間が持つ歪んだ常識——そういった私たちが知覚しづらい "運命" に疑問を呈し、問題を知らしめ、時にその問題の根本と向き合うためにエンパワーメントをする。これがストーリーテリングが持つ力だ。

そして "運命" と戦い、真に自由になる過程をゲームを通じて体験させることがサガシリーズの醍醐味だろう。


そもそもなぜこのタイミングでサガの話をし始めたかというとジスロマックさんの記事を読んでロマサガ2の話がしたくなったから。そういえばNHKの『ゲームゲノム』という番組でロマサガ2が取り上げられた時も、河津さんがゲストに呼ばれているのに食い足りない感じで終わっちゃって…(ゲームゲノムが食い足らないのはいつものことだけど!)。

というわけで今後もサガに関する話を定期的にしていきたい。次はロマサガ2です。

@akirafukuoka
福岡陽(akirafukuka) NTTコミュニケーションズ デザインスタジオ KOEL 所属 ntt.com/lp/koel ブランドストラテジストとして「善いブランドを創る」ためブランド/ストーリーテリング/デザインを扱う仕事をしています。