20240330

akiraki
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 勇気爆発バーンブレイバーン十二話で受けたショックは二つだった。

 イサミさんのキャラクターが虚無であったこと。これに関しては虚無だからこそという意味合いもあるのだろう。ゲームのプレイアブルキャラクター的な入り込みやすい無意味や全人類代表故の一辺倒があったと思われる。

 でも私にとって、イサミさんはアオ・イサミというキャラクターだった。強くて脆くて、全てが砕かれても最後の一欠片に詰まる無鉄砲とも言える無垢さと精神的にも人を救おうとする善性に惹かれた。誰にも理不尽な死を迎えてほしくは無いという願いに惹かれた。あんなに綺麗なものを全人類が持てるとは思えない。私には持てない。

 その為、全人類の普遍さを表すための虚無というのに納得ができていない。それならば彼でなくても良いことになってしまう。彼が表舞台に立ち、主人公と設定づけられた意味はスミスにみそめられたから。という意味合いのみになってしまう。それならばアキラさんでもいいことになる。それは、私が好きになったキャラクターはいなかったということになる。余談だが、私がこのアニメを見ることを決めたきっかけは一話でブレイバーンというキャラがもたらした混沌と救いであり、なおかつその後の展開があったため、同じ類のショックは二度目である。

 この考えに答えは出ていない。私にとってイサミさんはいまだに推しで、輝くただ一人の人なのだから。

 もう一つは、イサミさんの降伏のシーン。圧倒的理不尽に流されているだけの人間がその中で何かを考え、受容し努力したって、人の死や戦場を経験して覚悟を持ったりしても精神的な成長は何も得られない。ということを現実として突きつけられた気がした。

 もちろんあの瞬間イサミさんがとった行動は良いことだと思う。私が惹かれた善性と無垢さを見ることができる。ブレイバーンが壊されるという敵に対抗できる唯一の拠り所が破壊されるという行為にと共に、イサミさんも粉々に砕かれたはずなのに、まだ自分の望みを叶える方法を模索している。あそこで望みを手放してしまってもなんら不思議では無いのに関わらず。

 前述した精神性の成長が、イサミさんの美点が見られるシーンによって見ることができなかったということもこのショックに拍車をかけている。

 見られなかったことは、イサミさんの成長が無いということとイコールであるのだ。私はこのシーンに現実の重みと、キャラクターとしての成長性のなさを突きつけられてひどく苦しかった。

 ここまで私はこんな風に傷つきました。と羅列して批判的に書いてきたが、私はこのアニメもこのアニメのキャラクターも大好きだ。ロボット戦は派手で熱くなったし、ルルとスペルビアの物語も人間讃歌の物語に違いなかった。この三ヶ月間のお祭りを心ゆくまで楽しませてもらった。私はこれからもこの作品を応援し、アオ・イサミを押し続けるだろう。外伝などの作品展開もあるようだし、そこでイサミさんが何者であるのか、本編後にどんな歩みを踏み出してゆくのかを期待して楽しもうと思う。