君たちはどう生きるか

同名の児童向け哲学書を題名とした宮崎駿監督作品。アカデミー賞を受賞したことでTV露出が増えたことに触発されたのだが、おま国問題で日本では日テレがいつか放映するまで見ることはできない(配信サービスがない)ので、映画館に見に行った。

このこと自体は選択肢がなくて少しだけ鬱陶しく感じたけれども、そもそも映画なので映画館で見るべきなことなのは間違いない。そして結果的にそれは正しかった。

創作作品を素直に楽しめなくなってもうどれくらい経ったのだろう?というくらい最近まったく読めていなかったのだけど、今回は映画だったということもあったのか、わりと「スッ」と入ってきたような気がする。(当社比+50%)

Key takeawaysは2つ。

  • 自分にはどうしようもない、つらい、哀しい状況に陥った時に自分はどうすれば良いか、絶望とどう向き合えばいいか、という問いが流れる王道のジュブナイルだった。とても爽やかな気持ちで映画館を後にした

  • 映画を見て感想を語るということは、作品について語るのではなく、自分の心の動きを語ることなんだな、と思った。

前者については過去少年だった自分の経験を思い起こしてもよく理解できる内容で、身近な悲劇(母の死、継母への反感、顧みない父への反発、戦争というどうしようもない世界への無力感・・・)それぞれへの向き合い方がどう変化していくのか、物事(世界)は受け止め方を変えることでいかようにも変わるんだよというメッセージを受け取ったような気がした(作者がどう思ったかは重要ではなくて、自分の心がどう動いたかで言うとこう感じた)。これは普遍的な話だと思ったし、いまの時代でもすごく当てはまる、もっとえいば少年だけでなくこういう経験をしてこなかった、見方を自分で変えられない多くの大人にも必要な話だな、と一人で勝手に腹落ちした。

後者に関しては、例えば映画オッペンハイマーに対して「広島・長崎の悲劇を描いていない」といったような批判をすることに代表される、「作品がどうだったか・どうあるべきなのか」という批評について僕が興味がなかったな、ということだ。もちろん評論・批評はそれを見た人が対象作品に興味を持つきっかけになる、という意味においてとても重要な役割を持っているので、それ自体の価値が毀損されることはない。それでも、僕たちが作品に触れる時、僕たちがやることは作品を経験して、感じることが大事なのであって、決してそれを批評する必要はないんだよ、ということだ。

いい年齢になって無駄に経験を積み上げて、無意識にそれによるバイアスに縛られているんだろうな、という自分にとっては、久しぶりにとても素直に見れた作品だったと思う。