はあはあ 大変に体調が悪い中でのぶっ続け気味の読書はかえって体によろしくない。よくわかっているが、複雑に頭を働かせるようことできないので黙々と読み、明日の土曜日の期限を更新するために借りてきた本を全部読み終わった。
予約システムで用意される本のコントロールが難しいとはいえ、いいから私はもう少し予約する本を絞るべきだろうと思う。ちなみに、明日借りてくる予定の本は二冊だ。明日は雪だし体調はよくないしで借りられるかが割と不安だが、まあ行くしかない。ツイッターを見ていると、無限に気になる本が出てくるので、読書は永遠の趣味だな。
さて、久しぶりに読書経験で疲弊しながら読み終えた本は二冊。「夢野久作」と「正欲」。夢野久作は「いなか、の、じけん」が田舎特有の嫌な感じの雰囲気を味わえるとツイッターで見かけたので、ほうほう、と思い、収録されているまとめ本を手に取った。
結論、なかなか昭和あたりの作家の本は読了にエネルギーが必要になるので大変だ。まあ、文庫で500ページ近い物量だったものを1日で通しで読んだのも大きいが。時代背景、言葉遣い、文体、台詞回し、などあらゆるものが、読みやすいようにカスタマイズされている「今流行り」の文章とは違うので、頭に入れるまえに一枚フィルターを噛ませさねばならない。
できなくはないが、やはり読むペースは落ちる。それをいえば私の祖父の小説も同じようなものなので、やや食指が伸びにくいのはそのせいかもしれない。すまん。時代背景や作家性であまり読む本を絞りたくはないのだが…。
もう一つ挙げるならば、予約する時点で、私は脳死で気になったものを片っ端から入れているせいでページ数がわからない。いざ借りて手元に寄せて、「分厚いからやめよう」とはならないが、相応のエネルギーは取られる。予測できないのもちょっと難点だな。
話を戻そう。夢野久作も「ドグラ・マグラ」を代表とする著名な小説家であり、とんと日本人作家に詳しくない私も一度は聞いたことがある作品を刊行している。
昭和特有の文体と時代背景などを除けば、たしかに陰鬱で人間の汚さやおぞましさが描かれた点が描かれていたと思う。さすがは巨匠だなと思いつつ、感動するほどには至らなかった。正直、先に述べたツイッターで見かけた「いなか、の、じけん」よりは「人間腸詰」あたりのオチの鮮やかさが綺麗でよかった。いやまあ、該当の短編にも面白いオチはあったんだが。
エネルギーは必要だが、どうしてもNGという文体ではなかったので、先の「ドグラ・マグラ」もどこかで挑戦しようと思う。
次に、「正欲」。ちょうどTLに流れてきた「二度と読みたくないトラウマ本ランキング」なるものの中に、かなり下の方だがランクインしていた。ほほう。ちょうど(まだやってるかは知らないが)映画もやっている作品で、少し前ではあるが有名作品だ。
人間の「欲」———こと性欲に焦点を当てた作品とのことで、少し身構えながらも読んだが、蓋を開けると思ったよりはクリアな、湿度のない作品であった。3~5人の主観で描かれる群像劇で、人間の「性欲」にまつわる話をあらゆる視点、主観から物語として語る。特殊性癖や異常性癖について、それを取り巻く社会、人々の目、そういったものを深堀している作品だった。
群像劇であるが故に、スポットが当たった人物の主観に、読み進めていくと毒されていくような、共感してしまうような気分になる。世間的にやはり「ありえるだろう」という思考のリアリティや、性的マイノリティと言われる人々の生きづらさ、などが如実に表現されていた。なお、この性的マイノリティというのはゲイとかそういう話ではなく、もっとオタク的には聴き馴染みのあるものであるので、腐女子は着席すべきである。
こう書きながらも、オタク的には聞き馴染みがある、というのはかなり界隈としては異常なのだろうと思う。おそらく、オタク文化と縁遠いひとは想像もしないだろう。
2000年代前半には市民権がないも同然だったオタクも、今や街中では「推し活」の言葉が飛び交い、自己紹介では漫画やゲームが好きなことを公言しても形見が狭くならない世界になった。私はいまだに会社などで「ゲームや漫画が好きです」と自己紹介するのが苦手だ。そもそも、自己紹介自体が苦手なのだが。
ゲームや漫画が好き、という言葉に受ける印象は、単に「読書が好きです」という言葉と受け取られる印象が違う。それは、私の古ぼけた思い込みの部分もあるかもしれないが、やはり「ゲームや漫画が好き」というのは、ある種の「オタク」というメガネで相手から見られるということである。
オタクであることを恥じるつもりはない。人間は誰しもオタクであり、なにかのマニアである。それはいいとして、2000年代ごろの思春期にうけた、大人からの「オタクコンテンツはまともなものじゃない」というレッテルの印象がつよく、ずっとどこかで苦手意識があるままだ。
幸いにして芸術系の両親はそういう偏見とは無縁だったが、中学時代の美術教師と私は相当にバトルした。美術部という活動のくせに漫画なんて描いてるんじゃない、という抑圧に、思春期らしく反感を募らせて大喧嘩していた。
結局、最初は同調していた部活の友達たちも、先生と遣り合うことに飽きてしまって離れていった。もちろんそれ以外に問題は様々あったのだが、私が企画した初めての部誌の話はなあなあになり、頓挫した。昔から、グループをまとめて何かをすることは「できた」し「好きだった」が、大人になるにつれて、その煩雑さの割りに報われることがあまりにもなさすぎて、次第に面倒になっていったものだ。
話が脱線したが、どちらも結構ヘビーな物量だったのでさすがに疲れた。もちろん、月経とかいう人体のクソバグ構造で体調がすこぶる悪いのもあるが、なかなかに疲弊した。しばらくはライトな読み物を読みたいところだ。