不安のふわんり考察

aknorsh
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不安になるべきときとならないべきときがある気がする。正確には、不安になった方が得な場面と損な場面がある気がしている。たとえば、人前で話すときは心と頭にゆとりを持ちたいから不安はない方がいいだろうし、夜道で誰かに後をつけられてるならちゃんと不安になった方がよさそう。

個人的体験としては、不安とは「危険が迫っているかもしれない?」という感覚のような気がしていて、必要なときに不安にならないと、危険への対処ができず不利益を被る気がしている。逆に、不要なタイミングで不安になった場合も、何かを発表する前の過度の緊張とか社交不安のような形でやはり不利益を被る。適切なタイミングで適切な量の不安を感じるようにできないものか。

不安をコントロールする方法として思いつくのは、危険か危険じゃないかという現実のモデルを修正していくことかなと思う。上司に酷い叱責を受けた社員は、現実のモデルが「ミスすると危険/目上の人の機嫌を損ねると危険」という方向に修正され、別の上司と話すときにも不安を感じるようになるかもしれない。もしこの社員がどこかで優しい上司に出会って「別に上司って怖くないじゃん」という方向にモデルを修正することができれば、余計な不安の一部を手放すことができるかもしれない。

モデルを修正させるような経験によってしかこのモデル修正を行えないとすると、修正されるかどうかは運に左右されるし、何より修正までが遅い。自分が不安を感じたタイミングをよく観察しておき、「この不安は自分に有益か?」と内省し、有益でないなら以降の同様のシチュエーションで不安を手放すよう努めるのが、さしあたりの対策法なのかなと思ったり。

と考えると、やっぱ認知行動療法って偉大なんだなあという気分になった。そしてこんな取り留めない記事でも不安を感じずにアップロードしちゃおうと思えるしずかなインターネットはやはり素敵なサービス。