怒りというエネルギー

ako_s
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公開:2025/11/3

 とある方のXでのpostで気づきを得た。怒りはエネルギーになるということだ。

 私が思ったことをもっと詳しく言うと、私が抱えやすいネガティブな感情(失望、哀しみ、嫉妬、悔しさ、羨み)は、私の場合いつも、最終的に怒りになる。これをエネルギーとして活用すればどんなに良いかと考えたのだ。

 このエネルギーを執筆に使えばいいのだと思った。実は、今までもそうしてきたことが多いのだが、有効活用という点においてはあまりにも無自覚だった気がする。意識すれば、我慢して怒る自分を誤魔化すような駄文を書かずとも、怒りそのものを人前に見せれるような文藝として昇華できるのではないかと考えた。

 本当は単なる日記でも良いだろうし、エッセイや雑記としてあるがままに書いても、全く知らない人に読ませる分には面白いだろうと思う。他人事だからだ。しかし、読み手にとって他人事とはならない場合もあるだろう。それでも全然かまわないのだが、例えば、私が念頭に置く人物への愚痴となるような文章を、その人物が読むに至った時、直接的なものよりも、捻りがあるものの方がより面白い気がするのだ。気づくか気づかないかわからない線で書くスリルも味わえる。そうした捻くれた思惑による文章は文藝になると思っている。まあ、そんなことを考えているのは性格の悪い私だけだろうが。

 と、話が横に逸れたが、つまりは、怒りはエネルギーとなり、有効に使えば執筆を捗らせ、文藝に昇華できるのではないか?という気づきがあったということだ。

 私も怒りを覚えた際は、それをエネルギーとして用いて、無闇に発散するのではなく、自分に有利に作用するように活用したいと思った次第。

@ako_s
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