今執筆している小説は、前に書いた掌編『窓』に登場する女が主人公。『窓』の前日譚になるような話を書いている。タイトルは『窓の微熱』。とはいえ思うように書き進められておらず、まだ一万字と少しだけだ。理想としては、現実と幻を行き交うような物語にしたいのだが、上手くいかずに書きあぐねている。それでも書き進めるしかないのだが、途中でどうにも「つまらない」と思ってしまい、筆が止まる。この様だと一生書き終わらない気がするので、妥協も必要だと感じる今日この頃。
私は理想ばかりが先走って現実が追い付かないでいる、ある意味理想主義者だと思う。夢見がちというよりは、成長過程で身についた親や他人のからの期待に応えなければならないという妙な強迫観念が、いつのまにか「自分の期待に〜」にすり替わったのだと思っている。大人になって長い月日が経ったというのに、いつまでも理想が高い。これを変えられないのはもう決まっていると思う。変えるとなれば、今までの私の生き様を否定することになるからだ。だから苦しくもある。
失敗続きの人生なのは、そう思うのは、理想が高いせいでもある。足るを知らないのだろう。でも、周りを見れば私以上に足る知らない人ばかりだ。恵まれていると思われるのは鬱陶しいだろうが、私からすればかなり恵まれている人たちが、触発されて次々と小説を書き始め、賞を狙いにいくのを見ていると、何というか強欲さを感じてしまう。というか、私の夢を真似されたようにも盗まれたようにも思えてしまう。何もない私の人生の唯一の生きる術を軽んじられたようにも思えるし、なんとも言えない気分になるのは何故なのだろう。
私には持病やその他の理由で満足に仕事ができない。だから、小説家を目指している。それを、横から盗まれた気になる。これも悔しさの一種なのだろう。妬みの一種なのだろう。
私の理想を難なく叶えてみせる人々を目にしてばかりだったのがnoteだった。やはりあの場所は苦手だと再認識してばかりだ。
もう周りを気にしていてもしょうがないので(私は誰にも気にされるわけでもないのだし)、私は私の理想を追いかけようと思う。ただし、私は、見栄や肩書き、賞賛が欲しいだけの人たちとは違うということは主張しておきたい。見ているとイライラすることがある。
自分の理想に追いつけないでいる私は、心が狭い。でもそれで良いと思っている。私は仏ではないのだから。開き直って、ここでは好きなように書いていきたい。