新卒入社前に思い描くキャリア像

alesion30
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はじめに

2024年3月、長い学生生活に終止符を打ち、ようやく社会に出ることとなりました。4月から株式会社サイバーエージェントでWebフロントエンドエンジニアとして入社します。僕が内定承諾をしたのは一昨年の11月で、就活したのが随分と昔のように感じていますが、ようやく社会人なのかという気持ちでいっぱいです。内定承諾をしてから現在に至るまで1年半くらいありましたが、ただぼーっと過ごしていたわけではなく、この期間の経験(内定者バイトや福岡未踏の学生メンターなど)は、僕の中でのキャリアの解像度が増すきっかけになりました。せっかくなのでこの卒業という期に、今までの経験を振り返り、現在思い描くキャリア像を忘れないうちに綴っておきたいと思います。

今までの振り返り

僕の経歴は以下の通りです。

  • 2018年3月 広島県立広島国泰寺高等学校 卒業

  • 2018年4月 九州大学工学部電気情報工学科 入学

  • 2022年3月 九州大学工学部電気情報工学科 卒業

  • 2022年4月 九州大学大学院システム情報科学府情報理工学コース 入学

  • 2024年3月 九州大学大学院システム情報科学府情報理工学コース 卒業

  • 2024年4月 株式会社サイバーエージェント 新卒入社

僕の人生を大きく変えることになったプログラミングと出会ったのは、大学に入ってからでした。元々は自動車メーカーに入りたくて工学部に入ったのですが、学部1年生の時に同じ学部の一つ上の先輩からの勧めでプログラミングを始め見事にどハマりし、今に至ります。僕の大学生活で起こった出来事を順に振り返っていこうと思います。

学部時代

大学入学をきっかけに、18年間過ごした故郷を離れ、福岡で一人暮らしを始めることになったのですが、当時の僕は尖っていたので大学生デビューをするとか彼女を作るなどといった浮ついた気持ちは一切遮断し、平日の夕方と土日は図書館に篭って勉強していました。(今考えるとバカだなって思ってますw)そのおかげで、1年前期のGPAは3.9でした。そんな中、勉強だけにエネルギーを注ぐ自分を見て、先輩が勧めたのがプログラミングでした。先輩自身もWebアプリケーションを開発していて、その姿に憧れる形でプログラミングに熱中するようになりました。そして毎日起きている時間は全てパソコンを触っているという生活になり、鰻登りで開発力が向上していきました。(それと同時に学力は鰻下り?で下落していきました)半年ほどそんな生活をしていると、同じ先輩から九大のプログラミングサークルGLEAPを紹介されました。GLEAPでは、通常のプログラミングサークルとは異なり、実際に開発案件をこなしながら開発力を磨くというのを理念としていたので、たった半年しか経験のない自分には当時とても不安な気持ちでしたが、意外となんとかこなせていました。僕が入った当初、メンバーは10人もいなかったのですが、1・2ヶ月くらいで急に人数が増えた影響で、なぜか古参メンバー的な扱いをされてしまい、ついにはたった4ヶ月ほどでプロジェクトリーダーに抜擢されることになりました。しかし、当時はgitすらも分からない状態で5人ほどのプロジェクトを担当していたので、メンバーのコードの差分を掻き集めて、人力gitをしてましたw さらにコードを分割するというノウハウもなかったので、スパゲッティコードを量産していました。(LaravelとjQueryを用いていたので、クソでかControllerとクソでかmain.jsを平気な顔で作ってましたw)プロジェクト自体はうまく(?)いって、無事リリースまではいけたのですが、1年後とかにアプデの要求が来た時は顔を青ざめたのを今でも覚えています。そういった経験から、「成果物さえできてしまえば良い」という考えから、「ソースコードの品質も意識しよう」という考えが芽生え、意識が変化していきました。

GLEAPの合宿での写真

また同時期くらいに、チャレキャラという半年間の育成型アプリコンテストにも参加していました。同じクラスの3人でチームを組み、「Passtick」という複数人で共有できる付箋メモアプリ(よく言うと、スマホ版miro)を開発しました。

Passtickのスクリーンショット

技術構成は、図書館にReactNativeの本があったからと言う理由だけで、ReactNativeとFirebaseを採用しましたが、当然メンバー全員触ったことがなく、2週間ほど集中的に勉強していた記憶があります。また、一応メンバーの中で一番経験があり、人力gitの辛さ・スパゲッティコードの辛さを人一倍理解していたので、同じ轍を踏まないように率先してチームをリードしていました。そのおかげか、今リポジトリを見ても全然コード読めることに感動していますw また、最終発表でエキサイト賞をいただくことができ、この成功体験からさらにプログラミング沼にハマっていくと同時に、この時はまだバックエンドの比重が多めだったのですが、実際に触ってもらえるプロダクトを作ることにモチベーションを感じ、フロントエンドという領域をとことん追求するきっかけとなりました。

Excite賞を受賞した時の記念撮影

ちなみにチャレキャラの最終発表の次の日は、当時所属していた東大人工知能サークルHAIT Labで開催されたアプリコンテストの最終発表も控えていたので、発表後に博多駅のマックで開発&発表資料の作成をしていましたw

博多駅のマックで開発

さらにチャレキャラ真っ最中の時期に、同じ授業を受けていた建築学科の人とたまたま仲良くなり、その人の紹介で入った会社が23(ツースリー)という会社でした。しかもちょうど入ったタイミングが23の登記登録の日だったらしく、社長の清水さんが「遅れてごめん、さっき会社の登記登録してきたんよ」っていいながら学研都市のスタバで初めて会った日のことはとても印象深いです。23ではクリエイティブというワードをすごく大事にしていて、GLEAPやチャレキャラのようにエンジニアだけ集まって使えるものを作るのではなく、23の「デザイナー・動画クリエイター・エンジニアなどの多種多様なクリエイターを集めて既存課題を解決する」という会社のマインドにすごく痺れた記憶があります。23ではいい思い出だけではなかったですが(途中つらすぎて鬱病になりかけて、そのままフェードアウトしてしまった)、全体を通して見ると自分のレベルを数段引き上げる経験となりました。23はM&Aを果たし、清水さんは芸能人になってしまいましたが、またいずれかお会いしたいです。

23での集合写真

研究室配属〜内定承諾まで

学部4年から研究室配属があり、基本的に大学院に進学する人は3年間同じ研究室に属すことになります。当時、僕は研究でも今までの開発経験を活かせるところが良いと考えていたのですが、荒川研究室のHPにあった「センサ(IoT)と機械学習(AI)を用いた人の行動認識に関する研究を軸としており、その実現のために新しいセンサの開発からアプリケーションの実装まで幅広く実施しています」という文言を見た瞬間からこの研究室しかないと思い、3年間荒川先生のもとで研究活動を行っていました。荒川先生は他の先生達とは大きく変わっていて、アカデミックな研究活動だけに重きを置くのではなく、社会実装でどれだけインパクトを出せるかだったり、コンテストでとにかくたくさん賞を取るというところをすごくこだわっているように見えました。そのため、研究室内には「新しい発見をしたい」というより「どれだけ目立てるか・どれだけ面白いものを作れるか」という考えを持った人が多かったような印象がありました。かくいう僕も例外ではなく、研究室在籍中にとんでもない数の賞を受賞してきました。

ビジコンで発表している時の写真

学部4年の冬から本格的に就活を始め、関東圏のWeb系企業を中心にインターンシップに参加しまくっていました。以下4つが僕が参加した企業です。どの企業も個性的でとても有意義な経験でした。

まず最初に参加したのが、サイバーエージェントです。1ヶ月間ABEMAのWebチームに配属され、開発を行っていました。大規模サービスの開発は初めてだったので、設計やコードレビューの手厚さにはすごく驚愕した記憶があります。またトレーナーの宮代さんからとんでもないほどの量のコードレビューを受けていたので、自分の未熟さや考えの浅さを日々痛感していました。ただその経験があってか、技術負債や設計手法についてより深く考えるようになり、自身のコードレビューのスタイルを確立させ、技術負債を最小限に抑えるためにどうすれば良いかという考えが常に頭によぎるようになりました。

次に参加したのが、クックパッドです。クックパッドは正直あまり受けるつもりはなかったのですが、サポーターズの就活イベント(1on1)で当時クックパッドのCTOだった成田さんとお話しした時にシンプルに人として魅力を感じ、興味を持つようになりました。クックパッドでは、新規事業の部署に配属され、2ヶ月間komercoというサービスを開発していました。ABEMAはwebチームだけで10人以上いたのですが、komercoに携わっていたエンジニアはなんと僕含めて2人でした。しかも当時ios版とweb版を提供していたため、web版を全て任されており、それなりにユーザーのいるサービスを1人で自由に開発できていたので、とても活き活きと開発していました。また、クックパッドには技術力が半端なく高い人が多く、技術オタクが多い印象でした。そんな技術オタク達が仕事だけでなくOSSの開発や新技術の探究をのびのびとしていたので、エンジニアにとっては楽園みたいな場所だな〜って思う反面、ちゃんと企業として存続できるのか?危機感が足りないのでは?と内心めっちゃ思っていました。その不安は見事的中し、僕がインターンに参加していた数ヶ月後に大量にエンジニア・デザイナーがリストラされてしまい、僕が携わっていたkomercoもサービス終了し、チームごと無くなってしまいました。この経験からエンジニアの働く環境だけでなく、会社の利益やビジネスとして上手くいくのかという視点も重要視するようになりました。

次に行った企業は、Yahoo!です。Yahoo!ではYahoo!ニュースの部署に配属されました。ただ期間は1週間と短かったので、実際のサービスの開発ではなく、プロトタイプ開発しか行うことができませんでした。企業の雰囲気はかなり硬い印象を受け、コンプライアンス意識は高く仕事とプライベートをしっかり分けている印象でした。合う人には合うのかもしれないのですが、僕みたいにプライベートでも仕事のことを考えてしまう人には正直合わないと感じてしまいました。

最後に行ったのがDeNAで、5人チームでアプリの改善を行うという内容でした。僕のチームメンバーはとんでもなく技術力が高い上に曲者揃いで、常にぶつかりあっていました。たった3日しかなかったのですが、とてつもなく濃密な3日間で、さまざまな人間ドラマが生まれていました。僕は流れでチームのまとめ役的な存在になったのですが、曲者揃いをマネジメントするのは正直骨が折れました。なのでメンターからは、技術的なサポートというより、マネジメントについてや人間のマインド面についてめちゃくちゃアドバイスを受けていました。そんな濃い期間をともに過ごしたチームメンバーとは、今でもたまに連絡を取り合っています。特に池奥くんは僕が出会った学生エンジニアの中で一番最強で、この人には絶対勝てないなって思い、もはや憧れるのをやめました😇

最終的に本選考に進んだのは、サイバーエージェントとDeNAでした。どちらも内定をいただいたのですが、最後の最後までどちらに入社するか非常に迷いました。DeNAのエンジニアは技術力が非常に高い上に良い意味で曲者揃いで、少人数で事業を切り拓いていく姿は非常に魅力的に感じましたが、サイバーエージェントも同様にエンジニアのレベルが高い上に、エンジニアの数も非常に多いので業界の中でも大規模なコミュニティが形成されており、今後長い期間エンジニアとして活躍する上で、このCAコミュニティに属すことの価値は絶大だと感じ、入社の決め手となりました。

abemaくんの前で記念撮影

ちなみにこの時、九大OBの伝手で株式会社なんでもドラフト(以下、なんドラ)という企業でもインターンをしていたのですが、実はなんドラからも新卒入社のオファーをいただいていました。しかも、内定をもらった2社よりもはるかに待遇の良いオファー条件で正直かなり揺らぎました。ただ、新卒カードを切ってまでスタートアップでチャレンジするのは少し気が引けたのと、10年後の自分の姿を想像した時に、やはりサイバーエージェントしかないなと思ったので、このような決断に至りました。

内定承諾〜卒業まで

就活が一段落ついて、研究活動に集中するぞ!とはならず、研究室の後輩の藤本くんに誘われて、OLIENTTECHという高専卒東大発ベンチャー企業にジョインしていました。代表の河野朋基はとてもポエミーで、熱い言葉で勧誘してきました。(すみません、晒しますw)

ともちんからの熱いメッセージ

OLIENTTECHではテックリード的な立ち位置でやらせてもらっており、ただ開発案件をこなすだけでなく、技術選定やコードレビューなども積極的にやっていました。また、OLIENTTECHには非常に多くの優秀な学生エンジニアを抱えていたが、僕が入った時は正直持て余してるなという印象を受けていました。そこで後にCTOに就任した藤本くん主導のもと、エンジニアマネジメントチームが発足し、僕もその1メンバーになって、会社内でのエンジニアのリソース管理やエンジニアリング力向上のための施策を毎週のようにディスカッションしていました。この経験から、今まで思い描いていたキャリアはあくまで自己成長に対してのみ視点を向けていたのですが、組織に必要とされる人材になるためにはどのようにキャリア形成するべきかという視点を持つようになりました。

また、サイバーエージェントの内定承諾をしたタイミングくらいで、なんドラの人たちに「彼女作らないの?」「サイバー入るんだったら、自社サービスのタップル使わないと」みたいな圧をかけられた挙句、最終的にはなんドラのリポジトリに「大平くん 👧を作る」というissueまで立てられてしまいました。ただ僕はアサインされたissueをすぐに閉じたくなる性格だったので、タップルを初めて2ヶ月も経たずに彼女を作りました。(彼女ができた報告はissueをcloseする形行いました)彼女ができてからは今まで失ってた青春を取り戻すかのように毎週彼女と遊んでいました。そのせいか研究室の後輩たちに、GitHubのコントリビューションが前よりも少なくなっているとイジられることも多々ありました😅

内定承諾後は、サイバーエージェントでは内定者バイトをするという文化(※強制ではない)があり、自分もamebaとアプリ運用カンパニー(以下、アプ運)の2つの部署で合わせて4ヶ月間内定者アルバイトをしていました。この2つの部署はどちらも僕にとっては魅力的で、それぞれのチームを一言で言うと「amebaは技術力最強」「アプ運は少数精鋭部隊」です。僕は将来的にはスタートアップのような小さな組織で、エンジニアマネジメントしつつ、0→1のプロダクト開発をリードできるような人材になることを思い描いているため、アプ運の方が目指すキャリア像への近道だと感じていました。ただ、amebaのwebチームのリーダー的存在である菅原さんから「技術力の高い組織をマネジメントする人間は当然彼らよりも技術力が高い必要がある」「技術力に上限はないから、早い段階で技術力を向上させるためのサイクルを確立させた方が良い」と言うアドバイスをいただき、それが例えポジショントークだとしても自分の中でかなり説得力のあるものでした。なので、さらに技術力に磨きをかけるため、今はamebaの方にかなり気持ちが傾きつつあります。

そんなこんなしている内に、気づいたら修士2年の後期です。研究はほとんどしていません。流石に焦りを感じた僕は後期に入ってからはひたすら研究をしていました。(実際は11月末まで内定者バイトをしていたので、12月から本腰を入れていますw)ちなみに、ワイヤレスイヤホンを用いて食事中の行動をセンシングし、食事行動の良し悪しを絵で表現するという研究を行なっていました。修論発表直前まで必死に実験&論文執筆をしており、1月・2月は本当に死ぬかと思いましたが、無事卒業できそうです。

思い描くキャリア像

当初、僕は技術力をとことん向上させ、Webのみならずネイティブアプリ・バックエンド・インフラなど様々な領域をマスターした完全なフルスタックエンジニアになることを夢見ていました。そして技術を極めた最終ゴールはCTOになることだと漠然と思っていました。しかし、ベテランエンジニアと話したり、様々な経験を経て、その考えが浅いこということを思い知らされました。今現在は、キャリアを自分目線のみで語るのではなく、組織やチームにどう貢献できるかという視点を持って自身のキャリアを語るようにしています。その答えがエンジニアリングマネジャー(EM)というポジションです。今までの経験を振り返ると、どんな環境でも周りに多くのエンジニアがいて、共にプロダクト開発をしてきました。良いものを作るためには、もちろんアイデアや資金力・個々のエンジニアの技術力なども大切ですが、結局は適度な緊張感を与えつつパフォーマンスを最大限引き出す環境の構築が最も重要だと思います。そして、彼らのパフォーマンスを最大化させるにはどうすれば良いかを図らずもいつも考えていたような気がします。もちろん、最高のプロダクト開発をしたいという気持ちは首尾一貫して持ってはいるのですが、そのために僕が最も貢献できるのは環境構築なのかなって今のところ思っています。

メディアのweberの人たちとの記念撮影

最後に

先日、彼女にプロポーズし、無事婚約することになりました。冒頭の「大学生デビューをするとか彼女を作るなどといった浮ついた気持ちは一切遮断し」と言っていた人間がまさか学生の内に婚約指輪を渡すことになるとは思ってもいなかったですが、社会人になる前に大きな人生イベントを消化できて、とてつもないほどの安堵感を感じています。(こんなことを言うと彼女に怒られますがw)これからはエンジニアのパフォーマンスを最大限引き出すEMを目指しつつ、幸せな家庭環境の構築も頑張ります😇