誰かにとってはたからものだったかもしれない、また別の誰かには取るに足らなかったものかもしれない。どんな形でも、扱いでも、受け継がれてきたものがすきだ。今、自分の目の前にあるすべてはどうすればこの先を生きてゆけるのか。すきだからこそ、手放すいつかを考える。自分ではなく、この手にあるものの行く末を憂う日々。日記海星雨のあじさいにとける。 “ひとで”かもしれないし、“みほし”かもしれない。 自分とたからもの、暮らしを見つめるための日記帳。