しずかなインターネットということでしずかに書いていこうと思う。とりとめのない話になると思う。自分の考えていることを垂れ流していきたい。
今日は自己紹介から。生まれた場所は母親の故郷の近くである。いま大流行している大谷翔平選手のふるさとでもあるらしい。正直、面積は広い割に住民の噂はすぐに駆け回る、典型的な日本の田舎だ。大谷翔平選手の親は続出する見知らぬ親族・友人を自称する輩に辟易して、今はどこかに越したらしい、という噂だけを耳にした。まったくやるせない話である。
実際には関東地方、神奈川に住んできた。プライドと税金が高い横浜市民という人種である。しかし、想像するような海に近くて、高層マンションでとかそんなことは全然ない。むしろ山を切り開いた住宅街が多くて、タヌキやイタチなどが道を横切るなんてざら、という感じだ。1990年代のドラマで描かれた東急田園都市線沿いの高級住宅地でもない。
性格は……自分ではよく分からない。心理検査を受けた結果、だいぶ偏っている、という診断だった。今だとよく言われるADHDとかASDとか、そういう性格だ。でも、ADHDやASDという診断名は(その病院では)付かなかった。なんでも、その診断名は日常生活を送るのが困難(学校や一般企業になじむことができない)レベルに付けられるらしく、一般企業に一応、務めている自分はその診断にはならないらしい。まったくやるせない話である。
上記の影響かどうか分からないが、とにかく記憶力が致命的に悪い。人の名前を覚えられず、過去の出来事も小学生よりも前はほぼ全くと言っていいほど覚えていない。小学生の記憶も本当にとびとびだ。ようやく記憶がうっすらと残っているのは中学生になってから、になる。それで良く記憶力が勝負となる将棋を趣味に選んだもんだ、と自分でも思う。自分くらいの実力になると同レベルの人は直近の指した一局くらいは覚えていて、後ですべて再生できる物なのだが、自分は一切できない。まったくやるせない話である。
通信簿を見返すと小学三年から四年くらいまでは全く落ち着きがない、という評価だった。別に騒いで授業をダメにすることはないが、指示してもぼんやりしていて何が何だかわからない、もうさじを投げたいみたいな担任の評価が通知票に書かれていて笑ってしまう。フィクションかと突っ込まれるような学級裁判で「○○くんについて」みたいな感じで被告になったこともあった。(そして、そんな記憶が残ってしまうのである)きっとものすごく扱いづらい小学生だったのだろう。心から同情する。小学五年くらいから評価ががらりと変わっていてそこも笑えてしまう。まあ、周囲を騙す腕が上がったという感じである。それまでは周囲が何を言っているか、何を怒っているかよく分からなかったが、小説とか読んだ限りではまあ、こんな感じだろうと学んだ結果である。まったくやるせない話だ。
中学になってからは、まあ、優等生という範疇に入ってしまった。意識の10から20%を授業の内容に向けたら、質問に答えられてしまうため80から90%は空想に明け暮れていた。良くあるような、教室が突然テロリストに襲われたら、とかそういった空想ではなかった。パラレルワールドにいる自分と交信するような空想だったり、窓の外でおこなわれる体育のサッカーでボールに集まるんじゃなくて、こんな感じで動けば攻撃守備がうまくいくのになあ、と監督気分で眺めていたなどである。下駄箱で同級生から勉強のライバル宣言をされるなど面白体験もしたのだが、残念ながら相手が美少女じゃなく男子同級生だったので特にストーリーは広がらなかった。なんか中二・中三の数学の先生があまりにも満点を取られるんで、やけになって中三になってから中間・期末試験の最後の大問で難関学校の入試問題を出すようになってクラスの数学の平均点がえらく下がったということがあった。あれは申し訳なかった……
高校は男子校で、とにかく上昇志向が強い奴らがクラスの中心クラスタになるため動いていて、モブキャラである自分はなんだかんだ嫌な目に遭いながらもなんとか生き残った、という感じである。上昇志向がものすごく強いか、そんなこと関係なくステータスがえらい高いか、そんなこと関係なく何が起こってもマイペースでやりすごす奴が合っていた学校だったが、自分にはあまり合っていなかった。高校生になって図書室で夏目漱石の小説を全巻読破したり(そこから日本文豪の作品を読みあさったり)、哲学・思想に興味を持って関係書籍を読みあさったりもした。中学時代まで得意だった数学は高校時代もなんとかやりきった。エスカレーター式学校だったので、そんなに勉強しなかったが文系クラスの中ではトップレベルだった。ただ、文系クラスで数学が解ける=教科書の内容がまあ、分かるというレベルなので特に威張れた物ではないが。名作と呼ばれた小説を読み、哲学・思想もはまっていった。その一方で数学も分かるには分かった。そして社会情勢的にWindows95が発表され、コンピュータが誰でも扱えるくらいに一般的になった。それらを総合して、コンピュータでも思想や哲学、小説を書けるようになるだろうか?書けないとしたらその差分が人間のオリジナリティでは?と考え、コンピュータ関係が学べる大学を選んだ。
大学はまあ、気に食わない人たちもいたけれども、居心地的には一番、人生の中で良かった。単純に変な人が集まっていて、自分の変な部分が全く目立たず、普通に過ごせたことが大きい。入学して入ったサークルの先輩が「○○くんは妖精の存在は信じますか?実は私、小さい頃にあったことがあるんですよねー」と学食内で大声で話されたり、ポニーテールは黄金比であると力説する先輩がいたり、ロリコンを自称する先輩が「果たして自分は胎児の状態で対象を愛せるかどうか」を真剣に自問自答したりしていた。あまりにぶっ飛んでいて面白すぎた。大学は人生の夏休みである、と良く言われるが、自分にとっては夏休みに別の国に留学したら、そこが思いのほか肌に合った、という感じであった。自分の中で語学が非常に不得意(暗記物であるという認識だったので)だったが、D(不可)をとったあと中国語の先生が日本語がしゃべれない中国人の先生のアテンドを命じてきて、そのスパルタによって中国語だけは少し話せるようになった。その先生には様々な面でお世話になっており、今でも頭が上がらない先生である。しかし、自分、節目節目で頭が上がらない女性(高橋和先生しかり)が出てくるんですが、それは何かの運命なのだろうか?
ここまで書いて、ひとまず今日の話はおしまい。だいたい1時間2,800字近くである。