2023年も色々とゲームを買って遊んだ。その中でも印象に残った作品を簡単に記録しておく。
・ゼルダの伝説 ティアーズ オブ ザ キングダム
ブレスオブザワイルドの続編。作品の連続性を保ちつつ、イマーシブシミュというジャンルにおいて革新的な遊びを実装し、その上で大衆に好かれるであろう絶妙なバランスを成立させている。(ストーリーの感触が人によってまばらなのは、任天堂が遊び優先でゲームを作るメーカーであることに理解がない人にリーチすることができたからだと思っている)全体的にローコンテクストなせいで作りが甘い、尖りがない、という声もあるが、それでいいと思う。大衆向けにゲームを作る、新しい体験を提供する、最初に遊ぶゲームが任天堂産になる。ゲーム文化の窓口になるのが任天堂のミッションなのだと私は考えているからだ。
・バルダーズ・ゲート3
上と比べると極めてハイコンテクストな作品。「僕の夏休み」シリーズがもし海外から出たら、みたいなもん。TRPGの即興劇に可能な限り近い体験を提供することに成功したという点は偉業であると思うし、偉業の中に国産RPGの文脈が入っているのも、長い歴史を鑑みるとエモいよね。一時期ダサいゲームの代名詞だったJRPGが、海外で再評価され、今やリッチなリスペクトゲームがボコボコ出る時代になり、そして原点に合流して最強になった。体験としては新しいが、どこか懐かしく、昔遊んでいたFFやらポケモンやらを思い出す。ノーヒントなデザインゆえに、やたらめったらNPCに話しかけたり、絵でしか無い崖とか穴に向けてひたすら干渉を試みたりしていたあの頃だ。バルダーズ・ゲート3はそれをやると全部反応が帰ってくる。くたびれた癖に舌だけは肥えた自分が童心にかえって遊べる夢みたいなゲームである。
・アーマード・コア6
俺はもうあの日の幻影を追い求めなくて良いのだと安堵したことを覚えている。全体的な構造のわかりやすさや、死にゲーという今どきの需要を汲み取りながら、多彩なアセンブルを通じた攻略の楽しさ、闘争というテーマとアクの強いキャラクターたちなど、シリーズのコアを変わらず継承し、ナンバリングタイトルにふさわしい独自性を持った素晴らしい体験に仕上げている。そして実際人気が出た。夢女子にウケてたのは正直笑ってしまった。昔からジワジワそういう動きはあったが、ここまで爆発的に話題になるとは思わなんだ。そういった本作の姿はゲームの難易度と話題性と実際の売上と、その相関に関して、私に改めて考えさせる契機となった。
・スーパーマリオブラザーズ ワンダー
引き出しの多さに度肝を抜かれた。シリーズのコアたる2Dジャンプアクションは言ってしまえば、ファミコン時代のゲーム体験である。それを令和に変わらず持ってくるにあたり、どれだけの演出案、アイデア提出が成されたのだろう。遊びこそ全然変わっていないが、ゆるいマルチなどを導入することで、体験としては現代的な内容に仕上がっている。遊びを変えないゲームシリーズは色々あり、その手法も色々あるが(たとえば、ゲーム部分とストーリーなどを完全に切り離し、ストーリーやミニゲームをアップデートし続ける)、変えないまま現代に追いつくということをやってのけたのは本作くらいだろう。
・『サイバーパンク2077』拡張パック「仮初めの自由」および大型アプデ2.0
ストーリーを補完するだけでなく文字通りアップデートすることで、約2年前のゲームに再び光をもたらした凄まじい拡張。『ニューヨーク1997』を下地としたスパイスリラーから展開される新たな物語は、Vやジョニーと鏡合わせになるキーキャラクターたちを通じてナイトシティの物語から降りる、平穏な生涯とはどういうことなのかを克明に描き切っている。エッジランナーズでもそうだったが、ナイトシティにおける自由とは決して届かない月であり、すぐ隣りにいる死である。自由が持つ狂気的な誘惑に負けず、夢に向かって邁進し地獄へ落ちる、そういったロマンが持つ魅力の再発見をしてくれたアプデでした。
・Hi-Fi RUSH
思ってたんと違ったけど面白かった。音ゲーと戦闘アクションADVのミックスだが、内容としては戦闘アクションに寄っている。戦闘アクションをするためにリズムアクションを行う、というスタイルであり、例えばクリプト・オブ・ネクロダンサーのような、両者の並列化が成されているバランス良い体験でもなく、楽器を奏でるかのような体験でもない。ゲームから提示される譜面を受け止めるのではなく、ある種MADのような、映像に対して音をハメていく心地よさを「自分で作り上げる」体験になっている。能動的になりがちな音ゲーというジャンルにおいて、1つの転換をやってのけたのだ。そういった意味で非常に斬新かつ、爽快感のある体験に仕上がっている。
・COCOON
虫をモチーフにした謎解きアドベンチャー。世界をマトリョーシカのようにして謎解きを行うというギミックには目が飛び出るほど感動した。どうやって作ったのこのゲーム。レベルデザインが本当に美しく、人間は極まったときその感動を言語化できなくなるとはよくいうが、本当にそれ。どうやって作ったのこのゲーム。
・Pentiment
去年出た作品の日本語化。中世ヨーロッパにおける、時代を超えた連続殺人事件を追うサスペンス物語。選択が重要なゲームに関わらず一貫して、多様性に対するテーゼを行っていることに特徴がある。キリスト教に基づく道徳や世界観が個人のアイデンティや価値基準に結びついている社会において、それが破壊されてしまったら、実は世界は多様性に満ちていて混沌としていることが明らかになったら、人は受け止めきれるのか、という話だった。現代においても染みる内容であり楽しめた。難点は翻訳が微妙ということ。
・Chicory: A Colorful Tale
一昨年でた作品の日本語化。塗り絵ADV。塗り絵という遊びや、キュートなキャラクターたちとは間逆な、現代的な悩みをテーマとする物語が展開される。商業主義と自己表現の対立、作品のアイデンティティが資本主義的価値に結びつかない、将来が見えない、といった透明な絶望に塗り潰された世界をプレイヤーが色鮮やかに戻し、その本来の美しさを改めて認識させる体験は、人に勇気を与えるものだ。
・Kentucky Route Zero
現実は物語という始まりと終わりからなる一本の線ではなく、詩という点の集合である、ということをアメリカの田舎社会を舞台にして描いたADV。内容にロジックが無いということが、返ってリアリティを高めるという奇妙な体験を成立させている。人間は現実を物語というフィクションに押し込めることでなんとか咀嚼しているのだ、とも言えるだろう。(悲惨さをなかったコトにして、ハッピーエンドを信じるのだ。)
・パラノマサイトFILE23 本所七不思議
値段もボリュームもキャラクターも何もかもが丁度いい。都市伝説からよくぞここまでジャンプっぽいバトルモノを描いた。視覚演出を使ったホラー体験も映画のような演出で良く出来ており、本作に対抗相手として意識しているのは映画。1本見に行く値段で買えるとはよく言ったものだ。上野行って聖地巡礼するか。
・コーヒートークエピソード2:ハイビスカス&バタフライ
続編作品。バズ至上主義のSNSと人生や自己実現を主題に、ネットではなく対面で会話をするというロケーションが非常に良く噛み合ったADV。つぶやきを交差させるのではなく、面と向かった会話でしか成立し得ない事象がある。主要開発者が亡くなるという事件も落とし込まれている。こちらも値段もボリュームもキャラクターも何もかもが丁度いい。
・A Space for the Unbound
値段もボリュームもキャラクターも何もかもが丁度いいゲーム3つ目。インドネシア産の新海誠。
・ファイナルファンタジーXVI
ゲーマー層の拡大を反映する、極めて現代的なゲームであり、ゲームに限らず表現の商業的な作品と個性の発露のバランスに関して改めて考えさせられる作品でもあった。とんでもなくアクの強いエルデンリングや、バランスを模索したティアキン、レトロなBG3世界でが売れている中、こういったスタイルを採用しているのは、言ってしまえば「消費者を信用していない」という態度の表れではないだろうか。正直、書いても読まれないだろう、という疑心暗鬼が執筆中に木霊するこの職についている身として、痛いほどその気持ちはよく分かる。出来の良し悪しに関わらずゲームを最後までプレイする人は少ない。だが、表現とは非言語コミュニケーションであって、それを諦めてはいけない。FF16からはブランドを取り巻く環境への、ある種の諦観のようなものが感じられてしまい、それが残念だった。パフォーマンスの安定感や、アクションはめちゃくちゃ良くできてたと思う。