美しいものが好きだ。物欲がないので手元に置くことは少ないが、時々、書店やネットで色々と美しいものを眺めている。実物を見るのは稀(コロナ以降、美術館や展示会にはあまり行かなくなってしまった)で、それは主に写真ということになるのだけれど、綺麗なものを眺めていると癒やされる。アンティークのジュエリー、宝石のような鉱物、サージェントの絵画、風景の中にあるクリームソーダなど、様々な雑誌や画集、写真集を探すのが楽しみの一つでもある。
その反面、同じくらいかやや低い頻度で残酷なものが見たくなる。それは絵画や風景、物質の写真などではなく、映画や小説、ドキュメンタリーなどの物語であることが多い。肉体的に残酷な描写というよりは、精神的なもの、救いようのない現実や行き場のない怒り、悲しみを見たり読んだりしたくなる時がある。怖いもの(ホラーや怪談など)を人が好むのは、恐怖を感じた時に出る脳内物質が快楽物質と似た作用を持っているからだと聞いたことがある。しかし、私の残酷なものに触れたくなる気持ちは、それとは少し違っているように思う。
人の不幸は密の味だとか、自分より不幸な人を見て安心するとか、そういうのでもない。誰かの残酷さや憂鬱さに触れた時、私はきちんと傷ついているからだ。あぁ、こんなもの見るんじゃなかったと後悔することもある。創作物として優れているものは感心する気持ちの方が大きくなることもあるけれど、大抵はしっかりブルーになる。その憂鬱が長く続きそうな場合は、気分を紛らわせるために音楽を聴いたり甘い物を食べたりして回復している。
嫌な気持ちになるのに何故そんなものが見たくなるのだろう。美しいものだけ見ていれば心は慰められるのに。そう自分の感覚を不思議に思っていたのだが、最近になって、これは一種の自傷行為なのかもしれないと考えるようになった。
私は肉体的な痛みが嫌いというか苦手なので、自分の身体を傷つけようと思ったことは一度もない。リストカットをすると気持ちがすっとするという経験談を聞いたことがあるけれど、きっと私にはその感覚が一生わからないと思う。肉体的な自傷行為をするまで精神的に追い込まれたことがないだけ、と言われてしまえばそれまでだが、私も人並に傷ついたり死にたくなったりしたことはある。
とはいえ、本気で自殺の方法を考えたり、自暴自棄になってわざと自分が傷つくような行動を取ったり、精神的な病気になった経験はないので、本当の地獄に落ちた時に自分がどうなるかはわからない。現状は特に不幸でも幸福でもなく(運がいいとは思う)、残酷なもの(精神的な自傷行為)を欲するくらいのことで済んでいる。これは自分への不満や将来の不安に対する「何か」なのだろう。抵抗なのか誤魔化しなのか、はっきりとした答えはわからない。私にはわからないことがたくさんある。
珍しく真面目なことを書いてしまった。私にとってここはそういうのを書く場所じゃないんだけどな。