16. いろんな長さの時間を持つ

アマヤドリ
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それを思うのは今回が初めてではないけれど、やはり何かに連帯するとか共感するというようなことを不特定多数の間でするのは性に合わない。もちろんそれが生む良いことを認めないわけでは決してない。それでこそ、それなくしては変わらないことがあるのも知ってる。ただ個人の感覚というか心構えとして、私はわたしでそのことに対して良いと思うことをやり続ける、それは全く直截的なことではないけれど、たとえ表面的にそのムーブが終わったとしても問い続けるべきことは終わらないのだった。

簡単に期待したり同調したりするから些細なことで失望もする。大きな問題の門前にも立たぬうちにいがみあったり気持ちをくじかれたり疑心暗鬼に囚われたり誰かと比べて自分には力がないと思い込んだり、そんなことをしている場合ではないのだ。独りで立たなければ。独りで立ったそれぞれを、ふと程よい距離に立っている他のそれぞれをたまに発見して、ああ、そんな立ち方もあるのかと思ったり、ただ存在に(一方的に)励まされたり、灯台のように思ったり、すればいい。

私にはそんなやり方が合ってる。

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朝の6時44分。風が強い。屋根がみしみし。隣の鶏が目覚めたみたい。