84. オリンピック開会式

アマヤドリ
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開会式の様子がSNSで流れてくる。

日本の開会式はどの人にとっても能力を発揮できなかったんだろうな…という意味で散々な出来だったが、パリの開会式は今のフランスの現代文化の傾向とその限界を見せてくれたような出来だと思った。

創り手への悪口は控えたいのだけれどひとつだけ、過去に活躍した女性知識人を称えることでフランス国家の女性の人権のあり方を掲揚する一方で、マリー・アントワネットというひとりの女性の人生の悲劇をあんな風にエンターテイメント化することを、私はロックだとは思わない。そこにある矛盾に気づかず、または無反省に全肯定するところが今のフランスという国家をよく表していると思う。

フランス革命はフランス市民にとって権利や自由を勝ち取った誇るべき歴史なのだと思う。でも時代を経て一歩引いた視線でそこに巻き込まれた個人というものを観察することだってできるはず。フランスの言う「文化」というのは自分側からだけの視点のひとりよがりなものでいいのか?マリー・アントワネットが可哀想とかオーストリアの気持ちを考えろとかいうことを言いたいのではなく、開会式によってフランスが示したかったのはフランスという国が多様性、自由、広い意味での平等や博愛といた思想において世界を先導できるという自負だったはずなのに、結局そういった思想は自分たちの都合の良い範囲でしか発揮されないという表現になってしまっていたように思う。

これは今のフランス社会で実際に起こっている問題に平行移動できるメンタリティだと感じるので、たかがエンターテイメントとして片付けることが個人的にはできない。

もちろん多くの人が関わっている大イベントなので各部門それぞれの表現にタッチできないという事情もあると思う。でもそれはあくまで舞台裏の都合であって、作品の出来の言い訳にはならない。観客にとって開会式はひと続きの舞台であるから。ひとつの作品の中で一番大事な主題と矛盾することを同時に言うのは作品として成立していないとみなされても仕方がない。ここで例を出したのはほんの一部分、しかもあからさまでわかりやすい矛盾ではあるけれど、こんな単純な感覚のズレさえ拾いあげられないでいられるというのは、つくり手として致命的な欠如だと個人的には思う。


私は表面的には潔白な世界のリーダーの顔をしているくせにその実ご都合主義のかたまりであるフランス(の一部)に我慢がならんのだと思う。アートという形にそういう暗部を押し付けて済むと思うなよ。アントワネットに首をもたせて「清濁合わせ飲めるフランス」をかたるなら薄暗い本音や欺瞞をまるごと認めろと言いたい。(Twitterには書けない