用事が早く終わったので鳴いているカチューシャのそばで勉強したり本を読むことにする。
カチューシャと私はお互い何も言わず、ただ体をくっつけあってそれぞれのことをする。だんだん空が暗くなって手元が見えなくなって、それでも眠っているカチューシャが熱く重たくて動けない。そろそろ足はしびれていている。空を見上げる。こんな風に黙ったまま、何かをしながらでもなく、空が暗くなっていくのを見つめることを普段はなかなかできない。随分おかしなことだと思う。
子どもの頃に、子どもといっても本当にまだ幼い時だと思うけれど、日が暮れて一日が過ぎ去っていってしまうことを悲しく感じていたことを思い出す。見送ってもまた明日同じように太陽が登ってきて朝になること自体を知らなかったわけではなかった気がする。それでも今日の一日が、長くていろんなことがあった一日がもう終わってしまうこと、遠ざかる空の明るさと共にもう帰ってはこないことが、懐かしくて切なかった。
さよなら、という言葉の寂しさは、夏の一日が終わる時に似てる。
いつから毎日が当たり前に来るなんて考えるようになったんだろう?毎日が繰り返しだと感じるようになったのは?