46. イニシアチブ、換羽、エンデのミノタウロスの洞窟みたいに

アマヤドリ
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誘われているプロジェクトが全然進展のないまま2年が経とうとしている。誰もこの先の進め方が分からないのだということにようやく気づいたので指揮を取ることにする。ただただ呼び出されて何をしているのか分からない時間を過ごし、何も決まらないのは嫌だ。自分のクリエイションじゃないからと遠慮していたけれど、誰にもビジョンがないなら私の見たいものを投げ込んで推進力にしてみよう。

芝刈りの音が聞こえる。まだ家の中はひんやりするけれど春が来ているのだ。クロウタドリも元気に鳴き交わしている。結局、今年も野生の鳥も換羽期には薄くハゲをつくっているのかどうかを確かめられなかった。ちゅんちゅんはまだ寒いうちに毎年頭が丸禿げになっていて無防備極まりなかった。禿げを話題にするとちゅんちゅんは機嫌を悪くしていた。言葉はわからなくても自分が笑われていることは分かるのだろう。フランスにはヒヨドリがいない。でも鳴き声が似ている鳥がいて、はっとちゅんちゅんを思い出す瞬間がある。

5年後、50年後に受け取っても良いと思えるもの、今だけ有効なのではなくて、刹那的に消費されるものじゃなくて、もしかしたら私よりも続くもの、息の長いなにかを発信したいと思うようになったのは、踊りという自分の生の時間の範囲内でしか存在できないものをしている反動だったのだろうか。今や身体表現すら射程距離の長いもののために作られるようになったけれど、わたしは相変わらず長く深く響き続けるものに興味があって、自分だったら何をしたらそういうものが生み出せるのかを考えている。考えているけれど、なかなか考え付きはしない。私が得意なのは受け取ること、即興することだから。どうして真反対の性質をもつものにこう惹かれるのか。