58. 寄り道、脱線、付け足し、拡張

アマヤドリ
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勉強のためにE.サイードの記事を読む。翻訳がある時にはそれと照らし合わせながら読み解いてゆくのだけれど、なかった。ないと読めないのでは興味のある文章を読めないままなので、ChatGPTに「子供でも分かる文章にして」とお願いしてその文章と比較しながら読む。それでも分からない部分は翻訳を頼むが、簡単な文章にしてもらえれば雰囲気はおおよそつかめるようになる。そっか、私の文章読みの能力は「ChatGPTが判断する子供レベル」なのだな。悪くない。会話力は2歳程度(つまり子供というより幼児)なので。今日読んだのはこの記事。https://www.monde-diplomatique.fr/2014/06/SAID/50522

だいぶ昔に勉強の記録をnotionでつけていたんだけどしばらく離れていて、でも読みながら調べたことを書き込んだり下線を引いたりリンクを添付したりするのにやっぱり便利だったかもしれないと思い出して戻ってみている。少しでも読むことの不自由を減らしていきたいのでしばらくテクノロジーを利用してみる。

でも一方、ヨイヨルさんのラジオを聴いて、本を読んだ感想の方はしばらく手書きしてみようかなと考えている。貧乏性と目立ちたがりのせいで自分が書いたものを人が読めるところに残しておきたい気持ちがあるのだが、そのことが自分の素直な欲求、読んだときにはっとしてつい他のことを思い起こしたり、そのことについて脱線して深めていったりする時のあの楽しみを阻害していたのかもしれない。だって人の目に触れるからあらすじを書かなきゃと思ったり、ある程度は普遍性のある書き方をしなきゃと思ったりするのだものね。でも私はもっとたくさん脱線したり、形にならない、時系列もあいまいなことを絵みたいに図みたいに書きつけて盛大に寄り道もしたいのだった。ますます読める本の冊数は減りそうだけれど、つい最近1日に3冊も読めたことがあったが別に幸せでもなかったから、いっぱい読むことは重要じゃなくなってきているのかもしれない。その瞬間を美味しく深く没頭することのほうがうんと良さそう。