26. ブログの書式

アマヤドリ
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しずかなインターネットに1ヶ月ほど書いてみて思ったのは、ここはあまり長い文章を書く場所じゃない(と少なくとも私は感じている)ということ。文章の表示される横幅が狭いからだろうな(web版で見た場合のことです)。

noteMediumに書いてみたこともあったけれどやはり幅の狭さが気になってテンプレートを変更できるはてなに戻ったのだった。そのあとにsubstackに移行したけれど書式としてははてなが一番気に入っていたかもしれない。自分の書くワンフレーズの長さにはいくつかのパターンがあるから、それが心地良く折り返されたり収まったりする幅に設定していた。長い文章をもりもり書きたくなるように。

そこに置かれた文章を、どのくらいの長さに行列し、どんな改行をしてどのくらい空白を見せているのか、ひらがなと漢字の割合、どのくらいの大きさの文字を使っているのか等、キャンパスに描かれた絵のように見ているから、ある時期から流行りの、文字の占めるスペースの幅が狭くて行間の広い、すかすかと白っぽい書式はそんなに好みではない。読みやすいし親しみやすい感じがするのは確かだから人気があるのは理解できる。それにそもそも文章を読むための機器や設定が人それぞれなのだから印刷物のように自分が見せたい画は固定できないこともわかっているんだけどね。だってはてなだって携帯から見たら書式は一律になるんだし。

以前複数の方に文章を投稿していただくサイトを運営していたのだが、リニューアルの時にこのこだわりを周りの人と共有できなくてひどく揉めた。すでに投稿してもらったものの中にはweb版で表示される画を念頭に置いて書かれた文章もあるに違いない。改行はここでなされてほしいし、空白がこのくらいの割合であってほしい、文字の大きさと写真の比率はこのくらい。それなのに画面の見た目を大幅に改変してしまったら文章そのものの感触が変化してしまう。作品を変えてしまう。

物理的な本ではないのだから、書いてくれている人だってそのあたりは柔軟に考えてくれているはずだとも思いつつ、当時の私は頑なだった。そういう感覚にも寄り添えなければ書いてもらう場所を持つ資格はないという風にまで考えていた。いま思えばそれを他の方にまで押し付けるのは、自分自身の運営に関する迷いや自信のなさが生んだ狭量であった。

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少し前まで、日記なのだから年月日のアーカイブがTOPに表示されなければ嫌だった。どうせ見返したりもしないのにね。慣れてみたらそれに縛られないかんじもまた良し。と思ったり、…でも長年続けたら見づらくなるだろうからタグ付けを工夫すべきか…そもそもここで長く書くかはまだわからない…とかもにょもにょ。

ちょっとずついらないこだわりを捨てつつあるのかもしれない。それとも諦めることをやっと知ったのかも。全部は抱えきれないし、私のなせることはぜんぜん多くない。