『灰と土』(アティーク・ラヒーミー/関口涼子訳)を読んだ。
愛するものをほとんどすべて失い、その死を愛するものに伝えなくてはならない父。こんな地獄があろうかと言いたいけれど、そんな地獄がたった今そう遠くない土地でとめどなくおきている。生と死の悲哀や、苦しみとともに、それ以上にかもしれないけれど、人としてのふるまい、誇りが父と息子を繋いでいて、それが毀損されることが父にとっては一番の苦しみでもあるのだった。
ときどきさしはさまれる白昼夢が読むものを追いかけ、苦痛に引き込むようで苦しい。
はじめ疑心暗鬼で誰も寄せ付けない父が、誠実なこころに触れて固くしばっていた心をゆるめていく様子はほっとするとともに、かなしい。孫と離れ最後に息子を決定的に疑う瞬間、そしてそのあとの展開、ときどき糸が繰り出されるがずっとぎりぎりのところでぐっと張られているかんじで、息もたえだえに読んだ。
ご存じのように、悲しみというものは、目から流れて溶け出すものです。さもなければ、刃のように尖って口から堰を切って吹き出るか、心の中で爆弾となり、ある日爆発し、自分自身ですら破裂させる…………… 。
一気に読んで、呆然としながら訳者のあとがきを読んだが、それがまたこの作品を深いところに刻む一助になったと思う。
作家本人によって映像化もされているらしいがこの内面のうねりのさまざまな速度や、夢と行き来するようすは文章を読んでいるだけで身に迫って感じられたので、これをどのように画にするのか、外から見たら孫を連れたおじいさんがひたすら橋のたもとで待ち続けるというものだから、このゆさぶり、引きちぎられる感じをどう表現しているのか、興味がある。