自分が何をこっそり残しておきたいか、思い出した。どういうことは大事で、どういうことは実は必要ないかということを、時々見誤る。自分が何を求めているのかをまっすぐ受け取ることは案外むつかしい。
ほとんど余さずことばにできていると、あの頃は何故思えていたんだろうか。それとも直接そのことを言わなくなって、それがためにかえって説明的になった?説明しようとすると途端に何股もの選択肢が4Dで現れる。これをあらわせるとしたら言葉よりむしろあやとりかもしれない。
優しいことばかり口にせず、辛辣なことを言えるようになりたいと思った日のことを思い出した。その時の私はそれが気の利いたことだと感じたのだろう。
大事なことをやるためにはまとまった時間が必要だが細切れの時間しか持てず、細切れの時間でできることといえば軽めの面白そうなことを集めてみることで、結局その軽めがさがさ積み重なって身を圧迫しているのだった。