54. 村はずれからの日記

アマヤドリ
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好きなこととか没頭したいことがあるが、自分勝手に好きなことなんてしていていいんだろうかという気持ちが同時に立ち上がる。

「誰の役にも立っていない」ということに対して何故こうも敏感なんだろうか。いわゆる役に立ちづらいことにばかり興味があり、実生活にあまり貢献しない踊りのようなことに身を投じてきたことはじゅうじゅう自覚しているのだからそろそろ諦めたらいいんじゃないかとも思うのだけれど、なんだかぐずぐずと罪悪感を抱いてしまう。だったら自分の好きなことなど投げ打って役に立つことをしてみればいいのにそこまでする気はない。というか、すごく興味のあることしか長続きしないから、それを役立つことにどうつなげてよいかわからない。でも人からどう見られるかは気になる…というか接点を失うのは違うと思っている。自分が人生のなかで一番やりたいのは、誰かを引き連れて素晴らしいものを見たい、ということみたいだから、…つまりそういうことなんだな。できない自分への言い訳だ。

誰かのためになったかそうでないかなんて自分の及ぶところではない。いつのまにか誰かにひどいことをし、いつのまにか誰かが助かってるかもしれない。

だからこれということに少し没頭してみてもいいかも。どうせぐだぐだうろうろしている間に時間が経って役立つことも好きなことも出来ないくらいなら。

あ、でももしかしたらこの罪悪感があるから私は日記やTwitterに書いてるのかもしれない。ひとりもくもくと勝手なことをしておりますが世間と関わる気がないわけではありませんし、みなさんにまるっきり興味がないわけでもない(これは本当に)。たまに楽しことや美しいことを見つけたらせめておすそ分けしたいと思っていのです、というような。そっか、そういうことか。

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たぶん私は自分がすごくわくわくしたり、どきどきしたり、うっとりしていないと力が出なくて、その先にしか自分が真に役立つことはないとどこかで知っているのかもしれない。