ひとと会話をするって、なんと難しいことだろう。これまでも何度も感じてきたことだけれど何度でも思う。人と会話することはなんと難しいのか。いったい、会話がうまくできたなと思えた夜がいくつあったか。会話することの難しさに気を取られずにのめり込めた話がどれだけあるか。誰かと会話するということはどう成り立つのか。わたしはひとと会話ができたことが、そもそもあるのか。
2合目くらいで話の腰を折ってまったく別の道にさらってゆくような会話にそろそろ慣れるべきなんだろう。一瞬いっしゅんに生まれる言葉からその先の地図をあらかじめ予想しようと脳みそを絞ることもほどほどにしたほうがいいのだと思う。蜂のように身軽に、あれっと思ってもひるがえって、降り立ち、呼吸を止めずに、集中とかんたんに手放すことを同時にやる。
私は山頂のことをはじめに示せなくても、近道を知らなくても、どこで靴紐を結び直したのか、どの坂の石が尖っていたのか、いつ鳥の声を意識したのか、そんなことを話すことしかできない気がしているのだけれどまあそれはそれでいいのかもしれない。