42. 美味しいのなかでも、『いずれはすべて海の中に』

アマヤドリ
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美味しいスープを作ってくれそうなひと、お茶を美味しく淹れてくれそうなひと、お菓子を作るのが上手そうなひと、肉を美味しく焼いてくれそうなひと、絶妙なタイミングで鍋を管理してくれるひと、それぞれに対してわたしが持っているイメージが少しずつ異なる。パンを美味しく作る人は、お菓子の人よりはスープの人に近いし、お茶の人はどちらかというと占いが得意そうだ。鍋の人は副キャプテンが似合う。

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サラ・ピンスカーの『いずれはすべて海の中に』を読み始めている。実は少し前に読もうと思って手に入れたのだけどピンとこなくて読むのを止めていた。ヨイヨルさんの番組で紹介されていたのでこれは読まねばなるまいと改めてはじめから再読したところ、なぜ前回これを見逃してしまったのだろうと思うほどに引き込まれた。どの短編もそれぞれいろんなことを思い出したり、いろんなところに思考が飛んでゆく。

「時間流民のためのシュウェル・ホーム」を読み終わってものすごく泣きたくなってしまった。悲しいわけでも、さみしいわけでも、憐れなわけでも、孤独だと思うわけでもなんでもない。なぜわたしは、わたしたちは、膨大な時間のなかでこの一瞬だけにいるんだろう?この一瞬だけにしかいないんだろう?わたしには絶対にすべてのことはわからないんだな、世界のすべてどころか、葉っぱ一枚のこともほんとうにはわからない。子供の頃からずっと、それを考えるとたまらない気持ちになる。

萩尾望都が好きなひとは、この短編集好きかもしれない。

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でも(と追記する)、もしかしたら本当は、一瞬だけにいるわけじゃないのかもしれない。一瞬だけにいるわけじゃないことをほんとうは知っている。だけど一瞬だけのことしかこの体にいる間はわかりようがない。だからもどかしくて懐かしくて泣きたくなるのかも。