適当に書くよという話

amaymimay
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 落ち込んだ時には米を食べよう。白米がいい。できれば土鍋で炊くのがいいが、別に炊飯器でもいい。気鬱に最も効くのは白米だ。美味かつほかほか、更にはもっちり。白米が気を落ち込ませる道理はない。無心になって米を噛み締め、茶碗を二杯も空にすればもう、空がすこし明るく見えるようになっているだろう。そのまま散歩に出てみよう。路傍の花を愛で、北風に中指を突き立てでもすればもう完璧な一日だ。

 なぜ米が気鬱に効くのか? 米の性質――もっちり、ふかふか、あつあつ――もひとつの答えだが、私はまだ答えがあると思う。

気分が落ち込んでいる時というのは、当たり前のことが手につかないものだ。そこで、いつも当たり前に食べている白米を「改めて」味わってみる。自分をリセットするのだ。日本人は生まれてから死ぬまで、米を食べることをルーティンとして生活に刷り込まれている。そのパターンに自らをはめこむことで、自分を自分の「当たり前」に戻すのだ。つまり、米を「食べる」という行為にも、気鬱を癒す効力があるのだ。

 落ち込んだら、とにかく米を食べてみよう。道が見えないなと感じたら、米を食べてみよう。適当に、ぞんざいにでもいい。米を炊いて、食べてみよう。適当になにかをすることは、予想以上に気分を上向かせてくれる。思考の詰まりを流してくれる。

 そういう訳で、私は適当に書く。これをお読みの皆様の役に立てば幸いだが、立たなくてもいい。読まれれば嬉しいが、読まれなくても構わない。とりあえず、書く。米を食って書く。書きながら米を食べる。

 ってなわけで、疲れた時には米を食べよう。何も考えなくていい。

@amaymimay
小説を書く人 米が大好き