幸せになりたいと思った時、一番最初にほしいと思ったのは家族と帰る家だった
理想の話。大きな日本家屋に3人くらいでシェアハウスしたい。部屋はそれぞれ個室があって、ある程度お風呂とかキッチンは共用。蔵に工房があって、小さな畑と庭がある。インターネット引いてて、車で10分くらいのところにスーパーとドラッグストアとホームセンターがある。すこし交通が不便なこと以外は快適な、穏やかな田舎の街で暮らしたい。いっしょにご飯作ったり、夏は花火をしたりして、静かに過ごしたい。
わたしは、家族と、帰る家がほしい。生意気にも贅沢を言えば、殴ったり怒鳴ったりしてこない家族。話をしようとしてくれる家族。何も押し付けてこない、穏やかな感情と思考の交換ができる家族。家族が住む家に帰って、「ただいま」「おかえり」を言いたい。家族が持って行くお弁当を作って「いってらっしゃい!」を言いたい。
家を飛び出したのは19歳の春。それ以降のわたしは、一応セーフティとして帰って良い場所はあるが、どこか他人行儀なままの師弟関係だけがよすがになっている。頼れば良いのだろうが、なんとなく、わたしは根無草だ。安心できる場所と人が希薄で、帰る場所も曖昧になってしまった。このまま誰の何にもなることができず死んでゆくのだとおもう。
わたしは強欲で贅沢になってしまった。欲を言えば、もっと、近くに人がいてほしい。帰る家がほしい。誰かの安心になりたい。誰かの何かになりたい。望まなければ気楽なものを渇望している。家族がほしい。