今日もなんだか身体が気だるかったので、ごろごろしながらTwitterとかBlueskyとかを眺めつつ、iPadでゲゲゲの鬼太郎6期を見ていた。沢城みゆきボイスの鬼太郎、かっこよすぎでは…?というか目玉おやじをやってる野沢雅子さん、マジで妖怪では?そういえば作者の水木しげる氏も妖怪って言われていたなあ。年齢に対して精力的過ぎて。人間としてすごくタフなんだろうなと思っていた
眺めていたTwitterで”意外とみんな「何者かになりたい」の承認の問題を抱えてる”といった旨のツイートが流れてきた。承認欲求、SNSが発達してからほぼ聞かない(見ない)日はないだろうというぐらい認知が広まった言葉だなあと思う
承認欲求自体は悪いわけではないのだけれど、いかんせん本邦の社会構造と相性悪すぎない???だって小中高は画一的であれ、問題を起こすな、はみ出すなって教育をなされておきながら、就活では社会規範から逸脱しない程度の個性を見せろと言われて、あとは社会を動かす企業の歯車であり、人間として結婚して出産子育てするべきみたいなルートがあって、それに乗っからないタイプの人はいまだに半人前扱いされるわけじゃん?もちろん場所とか周囲にいる人にもよるだろうし、いまだにそんなこと言ってくる人はもう自分は化石ですっていう自己紹介だと思っているけど、結婚していることに対しての社会的な”人間として”の保障すごくない?結婚していても性格やばいやつなんてたくさんいるのにね。結婚していないことが悪口になる環境ってあるよね、やっば
そういう社会や組織が求める人間でいないと承認してもらえないんだから、そりゃ自分を抑圧している人がSNSだったり趣味の場で承認欲求こじらせて暴走するのはわかる…。承認される場がすっごく限られてるもんね
承認されたいかたちが本邦の社会構造を相性が良ければいいんだろうけど、いや承認されたいっていう欲求で結婚したり子ども育てたりしたらやばやばのやばでは?というかそういう動機でなんとなく異性愛規範にのっかって動いてきた人が、自分が無根拠で信じてきたものが揺らぐから同性婚反対してんのやろな…うわあ…
承認欲求自体はマジで悪いことではない。けど、こじらせる人がいることはたしかで。私の個人的な考えだけれど、そういう人は承認よりもまずは自分のアイデンティティ(自我同一性)の確立のほうが大事なんじゃないのかなって思う。自分が自分であるには何が必要か、何をしているときが一番自分であるか、自分とはみたいな。そこがぐらぐらだと承認されても他者からの承認に振り回されるだけだし、承認されることに依存しちゃうんじゃないかなー。承認されてもされなくても、自分は自分と言えるものをまず持ったほうがいいんじゃないかと
私は「何者かになりたい」と思ったことがないので、なんでやろと思って考えてみたのはアイデンティティがバチバチにあるからかも…と思ったのだ。私は趣味で二次創作をやっており、pixivなりTwitterの別アカウントなりに作品を投げたりするが、いわゆる数字が振るうときもあれば振るわないときもある。でも趣味の場に承認を求めないのは、二次創作以外でも好きなものがあって二次創作が評価されなくても自分が自分であることは何も損なわれないからだと思う
最近は承認欲求とか自己肯定感の言葉も流行ってきているけれど、結局ビジネス書とか自己啓発本に回収されて自己肯定感なのに他者から肯定されることを前提としていたりするので、しゃらくせ~~~と思うのだ。これが資本主義…
自己肯定感を上げるために丁寧に暮らすとか自分を褒めてあげるとかあるけど、自己肯定感ってのはありのままの自分を肯定する力なので、丁寧に暮らすとか自分を褒めるとか自己肯定感を上げるために何かをしなきゃならない時点で他者肯定なんよね。この辺をうまーくビジネスにしているやつらが多くて本当に醜悪である。こういう自己肯定感をあげたいという健気な人の気持ちにつけこんで金を稼ごうとする輩は滅んでほしいな
丁寧に暮らせなくても自分を褒める場所がなくても、まあこれが自分だしな…となるのが自己肯定感だよ。そして自己肯定感はこういう自分は自分であるというアイデンティティにつながるし、アイデンティティは承認欲求をこじらせないことにつながるよ
実はいま熱が出ているんだけどテンションが上ってけっこう書いてしまった。マスクも手洗いうがいも消毒もしていたのになぜ!明日熱下がってなかったら病院行こ
新年早々難しいこと考えちゃったよ