思想とダイアローグ

amy
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公開:2026/3/29

漫画家の松虫あられさん(以下、松虫先生)が書かれたブログの記事にとても胸を打たれた。

インスタで20代の日本保守党を支持いてる方との対話の記録とその感想なのだけれど、その対話に臨む松虫先生のスタンスに私もこうありたいと思った。

質問を受けて、まず最初に"反対意見だけどあなたを怒る意図はない"ということを示している点がすばらしいなと思った。

文章での対話って本当に難しい。だって言葉だけのコミュニケーションって伝わる情報がかなり限られているから。

『メラビアンの法則』というものがある。

人がコミュニケーションにおいて影響を受ける要素の割合に関する法則で、コミュニケーションのなかで優先される情報は「言語情報」が 7%、「聴覚情報」が 38%、「視覚情報」が 55% という割合とされている。 文章では言語情報しか使えない。

だからこそ、こういう心づもりでいる、こういう意図で言葉をつづるという姿勢を相手に先に示すことは、威嚇・威圧の意図がないことを伝え、心理的安全性を確保するうえで大事だと思う。

主語が大きくなって申し訳ないが、SNSでもそうじゃなくても、自分の持つ意見と反対のことを言われると怒られているように感じる、自分のことを否定されているように感じる人がかなり多くいるようなので、それとこれとは別ですよというのを前もって伝えるというのは、今から対話のテーブルにつきましょうという合図でもあると思う。

それを踏まえたうえで"保守党は推せない"と結論から伝えている。

結論を伝えてから、それは〇〇だから。そして〇〇であるということは△△につながるから、と理由とその理由の背景を伝えているところが誠実で胆力がある方なんだなという印象だ。

その後のAさんとのDMのやりとりも読んだが、Aさんの抱える不安は本人にとっては切実なものだろうと思うし、そもそも若い人に社会の行く末を不安に思わせてしまうのは国の運営が失敗してるだろうが……。

このAさんのDMに対して松虫先生が職場への不満は間違っていないと受け止めていたことは大きい。

もともとは小さな不安や不満が差別に結びつくというのは本当に、本当によくあることだ。 でも不安や不満を抱くな、つまり自分の心の内側に発生させるなというのはだいぶ、無理だろうと私は思う。

自分のなかに生まれる感情を自分の意思でどうこうできるならもっとこの世はよくなっているだろうと思うし、それをできるようになったら、それははたして人間なのか?

大事なのはその感情そのものではなくて、その感情が発生した(発生するに至った)環境や構造であって、感情そのものを糾弾するのはあまりよくないのではというのが私の考えだ。ちなみにこの環境や構造は教育や報道も含まれている。

そこでまた松虫先生の対応である。

Aさんが外国人スタッフのフォローをしなければならない状況には、こういう理由があり、そしてその理由の背景にはさらに別の理由があるという説明をしている。

松虫先生は長くなって申し訳なかったがこの話がいろんな角度からする必要がある、ともブログの記事に書いていて、つまるところそうなんだよな~…としか言えない。

単純にこうだから、こう!で終わる話はほとんどこの世には存在しないので、ちゃんと相手のことを知り、こちらのことを伝えたいと思えば思うほど、言葉は増えていく。

あらゆるSNS、まーーーーーーーーーじで対話に向いてねえ!

またこのAさんのようにその人なりに(偏った知識などからなるとはいえ)意見を持つ背景というものもあり、その流れを無視してしまうのは相手を対話のテーブルの席から立たせてしまうのではないかなーと思う。 人間にはどうしたって感情というのものがあるので、間違ってることを厳しく指摘されて「そうですね!すみませんでした!」とすぐに慣れない人も出てくるのではないかな。

あくまで私の憶測なのだが、そして勝手に憶測にかけて申し訳ないが、Aさんの職場での愚痴がかなり本質なのではないかと思う。

職場での外国人スタッフへのフォローが大変で負担になっているという状況が、だから外国人はいけない、移民を増やしてはだめだにつながっているのではないか。

私がX(蔑称)でフォローしている社会学者の中井治郎先生はオーバーツーリズムが専門(というか観光社会学かな)なのだが、外国人観光客で困っている人は存在していると言っている。

観光客とその土地に生活する人の動線がぶつかってしまっていることが原因であり、それは国が観光に力を入れるということについて、国が市民に社会的コンセンサスを取らないままに進めてしまったことが背景にあるとのことだった。

だからもともとは生活している場での個々人の抱える小さな困りごとがあって、それを解決したりバックアップするような制度や構造が整っていないがゆえに、 その困りごとによって抱えたストレスを排外主義的な考えがやわらげているという感じなのではないかと思う。あくまで個人的な憶測です。

そして高齢者叩きとかもそういう面があると思う。なんとか休みを取って、時間を作って訪れた病院に自分よりも時間がありそうな高齢者がたくさんいる(そうでないことも多い)。そのせいで待合室で長いこと待たされる、みたいな点から高齢者への攻撃的な感情を持ってしまうのではないかとかも考えたりする。

もしそうであるならば、こういう困りごとが発生していることそのものを無視しては対話のテーブルにつくことはできない。

このAさんの愚痴を引き出したところが松虫先生のすごさだと思う。

政治的なことは個人的なことだが、愚痴という個人的な部分にその人の思いが隠れている。

Aさんのぽろりとこぼした個人的なことを松虫先生が受け止めたことで、その後に続く長い文章をAさんは読む気が起きたんだろうし、それについて自分のことを顧みたところもあったのだと思う。

そして松虫先生もブログに書いていらしたようにこのことを利用する政治家(と名乗ることを私は認めたくないが)はいるし、それに絡め取られる人も、いる。

ただ政治への距離感についてはその人の今まで生きてきた環境がかなり左右する。日本だと教育の場であまり現状の政治家の話などは教えられないし。

相手の生きてきた環境を無視しないようにしたい。これは私がやってしまいがちなので戒めです。

相手の意見を変えようとしないというのもすごく大事で、これはともすれば相手をコントロールしたい、支配したいというのとつながるので気をつけたい。

ブログ記事を読んで、松虫先生のような忍耐を伴う胆力を身につけたいし、ひとまずは周りの不安を抱えてそうな人を気にかけるぐらいからしかできることはないのだなあと思う。

人によっては生ぬるいと思われるかもしれないけど、私にできることはこの程度である。

@amy
悲しみを埋めるには 幸せの予感