一九四五年以前生まれが総人口の約一二%となった二〇二五年は、第二次大戦で時代を分ける意識が共有され、“生身の戦後”として語り得る最後の節目である。戦争体験者の声、そしてそれぞれの世代が自らの生の時間との重なり合い、さらに未来への思いを寄せた、四〇名余によるアンソロジー。
戦後80年の区切りに今こそ戦争体験者の声や、戦後を生きる様々な職業、立場の人の声を集めてアンソロジー作ろうぜをやるのが我々の岩波書店である。
戦争当時、子どもだった人もいればまだ20代や30代の人もいる。
職業も様々で当時総理大臣だった石破茂、ジャーナリストの安田菜津紀、長崎出身の俳優・松重豊などなど。あらゆる分野の人からの戦争と今、そしてこれからに対する思いを読むことができる。
私がフィクションが好きだから、ということもあるがやはり映画監督の塚本晋也、アニメ脚本家の辻真先あたりの言葉は重い。
塚本晋也は『戦争をするかどうかは、権力を持つ人が決めますが、戦場に行くのはぼくたち一般人です』だからこそ一般人目線で見られるように映画『野火』を作成したとのことだった。
また創作物のいいところは”いいトラウマ”を経験することができることだと言い切り、かつて自分が『はだしのゲン』で経験した、こんなことは回避しなくてならないと強く思えるような”いいトラウマ”を経験できるような映画を作っていきたいと言っているし、彼の志はフィクションを信じているからこそであり、映画を作るものとしてのプライドだろうと思う。
アニメ脚本家の辻真先は1932年生まれだ。大人たちが戦争はいいものだと言っている様子を見てきて、反戦という言葉で戦争に反対するよりも戦争を嫌っている人を増やしてつながっていく必要があるのではないかと提言している。この考えには一理あるとも思った。たしかに戦争が嫌だというのは戦争に反対とは厳密には違う。厭戦、嫌戦のほうが近い。当時の世間の空気感を知っているからこそ、反対よりも忌避する姿勢でつながって、それを大きくしていくことのほうが有効だという考えに至ったのかもしれない。
個人的に一番痺れたのは漫画家の山岸凉子だった。
ファンタジーはやはり現実には負けるのです
山岸凉子の作品はファンタジーが多い。だからというべきか、彼女はファンタジーの脆さをよく知っている。ひとたび戦争が起きてしまえば吹き飛んでしまうことを。
1947年生まれで女性の漫画家として生きてきた彼女が、どう社会を見つめながら、漫画を描き続けてきたのか。女性への差別や、日本の戦争に対するアジアへの贖罪の意識の薄さ、AIの誕生。それぞれを地続きに考え、クリエイターとして彼女が持つプライドを書いてくれていて、正直彼女の文章だけでもこの本を読んでよかったと思う.
あまり話題にはなっていないようだったけど、世界がさらに悪くなっていくなかで、その様子にくじけそうになっている人には勇気を与える本だと思う
