どこまでセルフケアに勤しめばいいのか

amy
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セルフケアの重要性が説かれるようになって久しい。

「自分で自分の機嫌をとる」という言説はその最たるものだと思う。

もちろん自分で自分のメンテナンスをしたりケアをすること、気分よくいられるようにすることは大切だと思うし、それを他人に丸投げして許されるのは赤ちゃんぐらいなものだ

でも、色んなところで「自分を甘やかす」とか言われると本当にそれって良いことなんだろうかとも思ってくる

こちらの漫画をご存知だろうか

これは主人公の花田もねが自分の「大丈夫」を日々探して「大丈夫」になるという漫画である。この「大丈夫」は言語化が難しいのだが、私の解釈ではHPを回復させるというよりもMPを回復させるための手段だ

お弁当を作って窓辺で擬似ピクニックをしたり、アイスにチョコスプレーをどばどばかけて食べてみたり。そういう些細だけれども自分のMPを回復させるために奮闘する姿が描かれている。こういう自分で自分の身体と心をいかに回復させるか、みたいな漫画やエッセイってかなり流行っていると思われるのだが、どうだろうか

Twitterやpixivでもエッセイや漫画があるが、このセルフケアを推進するような一定の割合でよく見かけるひとつのジャンルになっている

このジェーン・スーさんのエッセイも色んなマッサージや整体に行ってみたエッセイになっているのだが、基本的に自分をいかに癒やすかほぐすかがテーマだ

こういうふうに自分で世の中にある色んなツールにアクセスして、自分のことをケアしなければいけないという理論はすごくよくわかる

他人にケアを求められるのは負担になることもあるからだ

だからこそ金銭でのやりとりを介して受けるサービスや、一人で完結すること(買い物や食事を一人で楽しむ)で日頃の膿を取り除くことが推奨されるのだと思う

でも自分ひとりで癒されるようなこともあれば、自分以外の誰かによって癒されることもまたあるのではないかと思う

それこそ愚痴を言い合ったりすることで励まされたり奮起することもあるだろうけど、人によっては愚痴の聞き役なんてまっぴらごめんだ、自分は痰を吐くための壺じゃないと思う人もいる

私は友だちや恋人の愚痴や泣き言であれば聞きたいと思ってしまうタイプなのだけれど、必ずしもそういう人間ばかりではない。場合によってはケアを他人にお願いするということは他人の愛情を搾取することになりかねない。

だからこそ難しいと思う

先述したジェーン・スーさんのエッセイでも「他人に触れてもらうことで癒される」というようなことを書いている部分があった

これはすごくよくわかる。他人に丁寧に触られると身体がほぐれるのと連動して心もほぐれるのだ。ネイルとかもそうだと思う。常に手や指に触れられながら対面すると心が緩んで、ネイリストさんとちょっと話し込んでしまったりとか

だから他人に丁寧に身体に触られることは癒やしなのだと思う。

それは身体に触れられたらから癒されるというよりも、丁寧に不快にならないように乱暴にならずに身体に触れられることで、ダイレクトに『他人に尊重してもらえる』からだと思う

自分で自分を尊重することと他人に尊重してもらうことは違う。他人に尊重してもらうことしか満たされない、癒やされない部分もある

しかしそれを振りかざすことは他人にとっては暴力や搾取になる可能性もある。堂々巡りだ

恋人や友だちだからといってこういうケアで搾取してもいいわけではないでも恋人や友だちだからこそ聞いてもらいたいことや触れたいこともある。傍若無人にならないようにケアをお願いしたり、されたりしていくしかないのだなと思う

自分をケアすることも、他人に自分をケアしてもらうことも、他人のケアをすることもとっても難しい

そして私が思うのは自分で自分をケアしきれなくなってしまったら、それはどうなるのか。こういう自分のことは自分で!という風潮が強くなると、自己責任論も強くなりそうで、そこが怖い

本格的に身体を壊したりメンタルヘルスを損なったりしたら、セルフケア不足だなんて言われるのだろうか

@amy
リプトンより日東紅茶派。Twitter→@note1581 Bluesky→bsky.app/profile/amy1581.bsky.social Wavebox→wavebox.me/wave/4pcj26ik98hvnx73