実は同じ著者の「文章のみがき方」を読みたかったのだが、そちらの本はこの「文章の書き方」の続編だそうで、なら元のほうも読まねばと思い手に取った
この本は当時の新聞記者や作家など様々な文章を生業としている人の例を示しながら、文章の書きかたを説いている。中身は大きく3章にわかれていて、何を書くのか、文章の書きかた、書いた文章の工夫で構成されている
例がマイナーな人たちもそこそこいたり、当時の芸能や世相などを引っ張りながら書いているので多少昭和や平成初期あたりの話がくることの心づもりはしておいたほうがいいと思う。そのために昭和史を学んだほうがいいとまではいかない。何となくあのあたりの時代のことが出てくるのか、という気持ちだけ用意しておいたほうがいいかも、という程度。もう令和なので2つ前の時代のことなんてわからないよ~と身構える人もいるかもしれないので
今まで色々と文章読本的なものを読んだけれど、それらになかったものは自分の発する文章が社会的にどういう立ち位置になるかを意識したほうがいいということだった
つまり自分の言いたいことや感銘を受けたものがが社会ではどういうメッセージを発していて、自分がそれにどう感じたか(賛否に関わらず)ということだ。これはもともと新聞社で働いていた著者だからこそだなと思う。
自分が書いた文章が社会的にどういう立ち位置になるかってどういうこと?と思う人もいるだろう
たとえば恋愛映画で出会った男女が紆余曲折あったが結ばれ最後に結婚したというストーリーに感動した、ということをSNSやブログで書くとする
その書いた文章は社会的にどういう立ち位置になるか。感動したということは最後の結末、つまり結婚したことに対して「よかったね。お幸せにね」と思っているのだろうと思う
ということは、まずはじめに婚姻制度をよいものとして認識していることになる。きっとそこには恋愛による結びつきの結果のゴールが結婚だからハッピーエンドでよかった、ということがあるだろう
じゃあ結婚、つまり婚姻制度とは何なのか。それを用意して運営しているのは誰か。政府であり国である。結婚すること、婚姻制度を利用することは非常に政治的なことなのだ
結婚することが政治的ってなに?と思う人もいると思う。じゃあ結婚するときにどういう手順を踏むかを考えてみてほしい
わざわざ私たち2人は愛し合っている生涯のパートナー同士であるという事実を、国が提示する書類を用意して色々書いて、役所へ行ってそのときの担当者にチェックしてもらい、これでいいですよ、という許可をもらって受理されるということだ。ここで何かしら書類に不足があったり、同性同士だと受理されない。そして3人以上であっても受理されない
愛し合っているパートナーであるという証明に国の許可がもらえないという事態になる
本邦で婚姻制度を利用できるのは、まず異性同士であり2人に限る。3人以上ではできない。どれだけ同性同士で愛し合っていても3人で愛し合っていても、婚姻制度は利用できない
愛し合うというロマンチックな情動のやりとりの行き先には国からの許可が必要ということだ。このへんはロマンチック・ラブイデオロギーという考えになるのだが、気になる人は各自で調べてほしい
最後に愛し合う2人が結ばれ、結婚できてよかったという感想には国からの許可がないと愛し合っている2人はパートナーとして認められない、そういう制度へ賛成している、もしくは好意的に受け取っているということを書いていることになる
自分の発した文章がどういう立ち位置になるかを意識して書くというのは、こういうことだろうと思う。何気ない考えや価値観がまとっているものは、一体何なのか。文章を書くということはつまり自分を書くということだと著者は何度もこの本のなかで書いている。つまり自分を知らなければ文章は書けないのだ
婚姻制度による例えはここらで終わるとして、おもしろいなと思ったのはこの本の初版発行は1994年でぴったり30年前になるが、30年前もわかりやすさや単純さを優先した文章は切れ味がよいが取りこぼしも多くあり、正確性に欠けた文章になるということだった
ネットニュースやSNSでの発信で、よりフックの強い見出しや文章に引かれる傾向が強くなるなか、それらがない30年前にすでにそれらに警鐘を鳴らしていたといのは、何と言うかやっぱり人間いつも同じところで躓いているというか人間の愚かさみたいなものは変わらないのだな、とおもしろくなった