「窓ぎわのトットちゃん」を観てきた。TwitterとBlueskyで評判は知っていたけれど、すごくいい映画だった
トットちゃんは言わずもがな黒柳徹子氏なわけだけれど、そのトットちゃんが大正自由教育運動をもとに創立された「トモエ学園」で過ごす様子がとてもいきいきとしていて、いいなあ、こんな小学校がよかったなあと思ってしまった
大正自由教育運動とは↓
詳しいことはリンク先を読んでほしいけど、すごくざっくり言うと子どもに同じカリキュラムをさせるのではなくて、子どもの興味関心を優先して教育を行うというもの。なので映画にはトモエ学園の先生が「好きなのから始めて~」(うろ覚え)というように、やりたい教科を子どもたちがそれぞれ自由に勉強しはじめる。オルガンを引き始める子、理科の実験をする子、外で走り回る子などなど。そして大正自由教育運動は西洋文化的な教育も取り入れており、学校の校舎も西洋風な建物だったりギリシャ風の彫刻が校舎に取り付けられていたりする
いままで落ち着きがない子、興味関心があちこち移ろう困った子として扱われてきたトットちゃんはトモエ学園でのびのび過ごして、楽しい毎日を送るけど、ひたりひたりと戦争の足音が近づいてくる。トモエ学園の前にトットちゃんがいた小学校では国語の授業(おそらく?)で戦争を称揚する内容のものをやっていた。それがトモエ学園ではまったくやらない
トモエ学園の校長先生である小林先生のほかの教員や子どもへ対する言葉や態度の端々から、子どもを守り育てることとは、教育とはどういうものかをどう考えているかを垣間見ることができる
それは戦争が始まりトモエ学園を閉校し、それぞれが疎開し、空襲でトモエ学園が燃えたときにも現れる。みんなで楽しく歌ったり、踊ったりした講堂へ貼られた軍艦一覧のポスターをビリビリと破ったり、燃え朽ちていくトモエ学園を見て「次はどんな学校を作ろうか」と言ったり。小林先生はきっと子どもを日本を支える人間として育てていくのではなく、一人の人間として育てていくのだと考えていたのだろうと思った
私は明確に反戦という主題を感じたのだけれど、声高に反戦を感じたのではなく、映画の描写の端々に徐々に、サブリミナル的に戦争へ向かう様子が仕込まれていく。いつの間にか駅員のおじさんが女性に変わっていたり、天気予報がラジオから流れなくなったり。この天気予報のやつについて調べてみたら、戦争中は天候情報は作戦上においてかなり重要な秘密事項だったらしく傍受されないために放送されなくなったらしい。トットちゃんが町を走るシーンがあるのだけど、その風景に傷痍軍人らしき人や戦争で子どもを亡くしたらしい女性の姿が映っている。映像を見て「あ、そうか、そういうことなんだ…」「戦争に向かうってこう空気が変化していくんだ」というのが鮮明に描かれている。トモエ学園が戦争のため閉校するとき、最後にみんな校庭に集まるけれど、そこに野菜が植えられていたりギリシャ像があったところがに二宮金次郎像になっていたりする。質素勤勉ってことだ
映像の綺麗さに比例して、すっごく怖かった。戦争ってこんな日常からシームレスにはじまるのか。もう1週間後とかにはじまってもおかしくないじゃんと思ってしまった。実際にいまも戦争中の地域はあるわけだけど
自分たちの生活や文化があっさりと奪われて壊されていくのに、妙に熱に浮かされている感じがすごく怖かった。あんな風になってしまうんだろうか。絶対に嫌だ
でも実際に戦争するかどうかなんて、国民に決定権がなくって国を動かす立場の人がおっぱじめてしまうことだってあるわけで。そうならないようにするためには世論として「絶対に嫌だからな、やるなよ」という意思表示をしていく必要もあるし、その考えが揺らがないように知識や教訓を学んでいかなきゃならないんだな。毎年終戦のタイミングで金曜ロードショーでやるべき、絶対にやるべき。何なら小学校で見せるべき(中学校でもやってもいいと思う)
去年の12月から今回にかけて「ゴジラ-1.0」「鬼太郎誕生 ゲゲゲの謎」「窓ぎわのトットちゃん」と戦後や戦中の映画を立て続けに見た。戦争を美化するような内容だったらどうしようと思っていたけれど、みんなしっかり戦争は愚かで悲劇しか生まないものと描いてくれてよかった。できれば3本セットで見るといろいろとおもしろいかも
あとすごくいいなと思ったのは本編上映前に注意書きとして「当時の表現を優先している」という旨がスクリーンに表示されたこと。誠実だなと思った
ってことで小学生ぶりに読みたくなって、映画館から本屋さんへ直行した