ぼんやりとでも推しがいるオタクには読んでほしい1冊であった…
SNSが生まれ、推し活がより大規模に気軽になったことで「萌え」から「推し」に変わったこと。
推し活には承認欲求と所属欲求を満たす効果があり、それはモチベーションを上げたり人間関係を広げたりするが、上手く扱えないと人生の難易度や幸福感が大きく変わってしまうという
承認欲求とは、他人から褒められたい、認められたい、他人から自分に向かってポジティブな目線をもらいたいという欲求
所属欲求とは、みんなで集まって同じ方向を向いていたい、仲間意識を持ちたい、群れていたいという欲求
この2つの欲求は他人が存在してはじめて成立するソーシャルな欲求である
20世紀に入り、個人主義が強まったなかで一度は薄れた所属欲求が、昨今の推し活ブームはソーシャルな欲求としての所属欲求が息を吹き返したということを熊代氏は述べている
推しがいるオタクにはぜひとも読んでほしい1冊であった…
SNSが生まれ、推し活がより大規模に気軽になったことで「萌え」から「推し」に変わり、社会も変化してきたなかで「推し活」が個人にどのような影響をもたらすか、どういった欲求を満たしているのか。その功罪と「推し」や「推し活」と上手く付き合っていくための心がけがまとめられている
現在の「推し」や「推し活」は承認欲求と所属欲求を満たすものでもあり、つまりそれは自己愛(ナルシシズム)を満たすものであるとしている。しかしながら、それら自己愛(ナルシシズム)や承認欲求と所属欲求を悪いものだとはせず、あくまでも付き合い方が重要であると熊代氏はこの本で書いている
自己愛(ナルシシズム)を過度に求めすぎても求めなさすぎても、それはそれでその人自身のモチベーションや人生の幸福度が低下するというのだ
現代人は他者とのつながりが必要最低限となり、他者を通じて承認欲求と所属欲求を満たす経験や、また他者を完璧なものとせず、ある程度の意見の相違や完璧ではないという幻滅経験を積むことも少なくなり、また合わない人間とはいつでも気軽に縁が切れるようになったことから、人間関係を継続していくことも困難な環境に置かれている
そのうえで、「推し」や「推し活」と通じて他者との関係を深めていくことの重要性を説き、それが「推し」へ清廉潔白さや完璧さを求めないことや「推し」は同じでも考えや価値観が違う人と人間関係を継続して、承認欲求と所属欲求を満たし満たされ、双方自己愛(ナルシシズム)を満たしていくことが人生において幸せなのではないかという本であった
「推し」には3次元の存在もいれば2次元の存在や作品そのものが「推し」ということもあると思うが、「推し」へ完璧さを求めることも、意見が異なるオタク仲間と関係を切りたくなる、訂正してやりたくなるというのも、自己愛(ナルシシズム)を上手く満たせないというところに帰結するような気がした
また資本主義においては「推し活」は経済と結びつきやすく、自己愛(ナルシシズム)を満たしたいという欲求を上手く利用されてしまうことも考えられることであり、「養分」と見なされていないかを考えることが必要になるということであった
昨今のSNSで激化する「推し」や「推し活」への否定的な意見を認めないというのも、この1冊を読めばだいたい説明がつくと思う
『推し」とは「推し活」とは何かを考えた人は読む価値があると思う