どーなるかシステム

anatomiya
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 こないだ電車で全部で344ページある文庫本の234ページ目を読んでいて、「あれっ、この部分見覚えがあるぞ」と思ったんだけど、そこはその本を読むかどうか迷っている時にパッと開いて拾い読みしていた部分で、その本を読むかどうか決める時に、最初の1,2ページと、その先の適当な部分を拾い読みして、良さそうなら読み始めるという習慣がある人は多いかと思いますが、そのときに拾った部分についに到達したのだった。

 その時の感情がなんかに近かったのでしばらく考えてみたところ、それは旅行に行く前、現地の情報を調べようとして紙面やパソコン越しに目にしていたお店や名所に、自分が実際に旅行してついにたどり着いたときの感情に近かった。それは「あーついにここまで来たんだな〜」という気持ちで、まだ何も知らなかった頃、ウブだった出発前の自分を懐かしみつつ、ここまで移動してきた距離への感慨で、かつなんかその中には少し寂しさみたいのも混ざっていて、それは時間が経ったということを距離が自分に教えてくれているから、つまり死に近づいたと自分が感じているからなのかもしれない。と同時になんかここまで来た自分を褒めてあげたい自負心みたいのもあり、それはパラパラ拾い読みしていた時とは全く違う、ここまで最初から通して読んできたからこそ味わえる景色があるんですということであり、誰かの旅ブログを読んで分かった気になっていたあの頃の自分とは違う、いま身体を伴ってこの場に臨んでいる自分よ、よくやった!という気持ちでもある。

 考えてみたら、旅行はもちろんそうだけど、読書も目が何百メーターも移動している物理的な距離の産物なんだと思った。