
二十年近く前かなあ。漫画家の柴田亜美さんのブログで初めてお名前を知って、写実的なのに幻想的にも思える作風に惚れ込んで、当時はご本人のブログだけで追いかけていました。
いつか直接作品を拝見したいと思ってて、三年前に府中市美術館でようやく拝見できて、…ひとつひとつ、のめり込むように、網膜に焼き付けるみたいにして見ていたことを覚えています。「どうせなにもみえない」。呟きながら、まっすぐにこちらを見つめる女性。大野一雄さんの一連のシリーズの、躍動感に満ちているのに静謐な空気。冷静な眼差しで描かれた、入院中の近しいご家族。死にゆく祖父のいた、病室のにおいをまた嗅いだような気がして息苦しかった。
そういう、刹那を切り取りながら永遠を感じさせる画家さんです。
コロナ禍を経た今回の展示は、亡くなる直前と、亡くなった直後のもう一人のご家族のクロッキーがね、見ているこちらが悲鳴を上げそうなくらい、冷静に見える筆致なのに、どうしようもなく苦しくて、淋しくて、引き留めたいのに当然それは無理で、ぜんぶ伝わってくる線だった。
「母さん、死なないで」──
走り書きをそのまま残したのは、個人としての切望を、画家として切り取っておきたかったのかな。人は死ぬ。当たり前だ。頭では理解してても、自分から大事な人を切り離されるのを目前にして声を押し殺せるはずがない。
私の母はまだ元気だけど、いつかは、って頭では分かってる。線で描かれた「他人」に、どうしても「未経験」であるはずの「体験」が重なった。
そういう展示でした。
苦しかったけど、直接足を運べてよかった。どうかまだまだ、諏訪先生の作品に出会えますように。