3/7、あっちゃんの誕生日だ。おめでとーう。
今まで意識してなかったのに、今年は「おめでとう」って強く思った。生まれてきてくれて有難う。たくさんたくさん、いろんな感情を有難う。永遠の不在によって存在感を改めて思い知るとか、ほんっと人生はままならんね。小説だと何十回レベルで書いてきたのに、実際に味わうと自分の精神状態もうまいことコントロール出来なくて戸惑ってる。それを俯瞰して「なるほどー、こういう感じなのかー」って感心してる自分もいたりして、要するに混乱して大混戦してる。
ままならんわー、困ったわー。人間ってすごいわー。
昨日何十年ぶりだってレベルで『音楽と人』買って読んで、ああ、「今」写真を撮って「今」インタビューすることが必要だったんだろうなあと思った。そら泣いた。久々に声上げて泣いた。目と顔が痛い。
『バクチク現象2023』もだけど、映像とか写真って、文字よりずっと雄弁に「今」「このとき」を語ってくれる場合もあるから。それぞれの言葉を引き出した金光さんもすごい。市川さんからの付き合いの積み重ねと、信頼だろうなあ。
武道館のときから、ヒデの動きが変わったなあ、ってぼんやり思ってたけど、そうかあ、本人が「動かなきゃ」って意識したんだなあ。
変な表現だけど、五感のうちひとつが損なわれると、他の感覚が鋭くなったり突出したりする、って云うでしょ。そんな感じだなあと思った。庇う、埋める、とかではなくて、ごく当たり前に「あ、じゃあ今までやってなかったけど、その部分もやっていこうか」みたいな。気負う感じじゃなくて、うん、じゃあやっとくね、みたいな。もちろん緊張もプレッシャーもすごいだろうけど、もう一回作り直す途上で、自分がその役割を担おう、って思ったのがヒデっぽいなあと思った。
ユータが感情を表に出して、アニイと今井さんが心配して、それでも今井さんは「じゃあ『出来ないこと』以外はやれる。やるぞ」って思って地面に足をつけてる感じ。そら未曾有の嵐だろう。「続ける」ことはいちばん難しい道だろうなってずっと思ってきた。「同じ名前で続ける」のは、伝説とか悲劇のまま終わらせたくなくて、あっちゃんがいる/いたことを抱えていく覚悟もしてるんだろうなとか。
…分からんけどね。想像するだけなんだけどね。それでも、「前」に進むって四人が決めたのなら、好きにやってよ。もっともっと好きにしてくれていいよ。
「誰にも代わりは出来ない」って、いちばん分かってるのが四人だもんね。
「次」の音に必要だと思ったら、誰かまた呼ぶかもしれない。でも「今」は、形を作っていくことで必死だと思う。感傷的かもだけど、四人で作るものが恰好良くなかったらあっちゃんに胸を張れないだろうし。そんだけの自負と自信はあると思う。それだけの人たちを、私は愛してきた。
あのインタビューを読んで、おっ、一緒に全力でついていくぞ!! って思う人もいれば、今はまだ整理出来ないからもうちょっと待って、って人も、あっちゃんのいるときだけを大事に抱きしめていたい、って人も、いろいろいると思う。それでいいんじゃないかな。好きにしようよ。大丈夫だよ。自分の感情は、自分だけのものだよ。それでいいよ。
私個人は、今のところはついていきたいけど、音楽的に合わなかったりしたらそらしんどくなっちゃうだろうし、いろんな気持ちを整理しつつのんびり追いかけられるときに追いかけようと思ってる。最高に恰好良くなってくれるだろうし。見せつけてくれよ。見せつけてよ。
まだまだ私も道の途中だ。好きにするよ。大丈夫だよ。