SNSを「コミュニケーションツール」だと思ったことが一度もない。文字を綴るもの、日記のように感情やその日あった出来事を気軽に書ける自分だけの場所だと思って使ってきた。個人サイトやブログの延長にあるものだと思っていた節もある。
Twitter(現X)は、おそらく日本で利用開始された初期から使っていた。当時の知り合いに教えてもらった。身内だけの、数文字で構成されるアカウントはまだ使っている。いつからか「コミュニケーションありき」のツールになり、広告や宣伝ツールとなり、あれ? 140文字で「今何してる」って呟く、私が使いたかったかたちじゃなくなってるな? と思っているうちに時間が経ち、離れようにも出来なくなっていたというのが現状だ。
たくさんの出会いもあり、感謝もしている。大震災のときの、連絡が通じない中での関東の知り合いたちの無事を知ることが出来たのはTwitterのおかげだ。
ただ、ずっと繋がっていたいわけじゃない。ぜんぶを知られたいとも、知りたいとも思っていない。好きな人、気になる人、作品や会社だけの情報をときどき知ることが出来ればよかったのに、気が付けば好きも嫌いも綺麗なものも汚いものも無造作に投げつけられ押し寄せるようになって、戸惑っている。
それが好きな人もいるのだろう。きっと「今の私」が、Xという名前のツールに合わなくなったんだろう。淋しいけれど、どうしようもない。
blueskyやしずかなインターネットの、線ではなく点の個々の存在が今はとても楽。世界のどこかにいる、知らない「誰か」の存在は感じていたい。元気でいて欲しい。ときどき、私が書いた文章も読んでくれたら嬉しいな。そんな感じ。
誰にとっても、どうか今日という日がいい日でありますように。祈りながらツールを使っていきたい。それだけは変わらない。