自分の、というよりは他の人が作品を宣伝しているのを見て思うこと。
Twitter(今はXか)で他のゲーム制作者の方を多くフォローしているからか、タイムラインを眺めているとよく作品の宣伝を見かける。世の中にはこんなにも多くの人がゲームを作っているんだなあと感心するが、時には少し引っ掛かる表現を見かけることもある。
一つは、自分の作品を卑下した文章で宣伝すること。例えばゲーム制作に不慣れな作者が自作を「クソゲー」呼ばわりする、などだろうか。クソゲーという言葉は文脈によっては賞賛にもなるが、自分のゲームを表現するにはあまりポジティブな言葉ではないと思う。実際、出来の悪さを茶化すようなニュアンスで自作をクソゲーと称しているを見かけることがある。
そう言いたくなるのもよくわかる。出来の悪さを批判されるのは怖い。ましてや作品を作り慣れていないのなら尚更怖いと思う。だから、先に期待値を下げるようなことを言って予防線を張りたくなってしまう。
勝手な意見かもしれないけど、それでも自分の作品を下げるようなことは言って欲しくない。自分の作品を自分で面白いと思えないなら、きっとそれは遊んだ人にも面白いとは思ってもらえない。一つの作品を完成させるというのはとてもすごいことだし、作品の出来に満足できないならフィードバックを元により良いものを作っていけば良いのだ。わざわざ価値を下げるような言葉を自分から言う必要なんてどこにもない。
また、これとは逆に自分のゲームを過剰に持ち上げたり、自画自賛したりしているのも、見ていて「うーん」という感じになってしまう。
勿論、自分の作品を自分で好きになれるのは素晴らしいことだと思う。でも、自分で自分の作品を賞賛していても、作品はそれ以上良くはなっていかない。
別にそれほどの出来じゃないとか、そういうことを言いたいのではないけれど、ただそれでいいのかとは思ってしまう。現状に満足せずに、客観的に自作を見つめてどうやってもっと良くしていくかを考えるのが創作者だろう、という意見は傲慢だろうか。
そんなことを考えているから、自分の作品を宣伝する時にはどうすればいいんだろうと迷ってしまう。宣伝はその道のプロに任せて、ただ淡々と作品を作り続けるだけが理想的な方法なんだろうか。それはそれで、何か冷たいような気がする。