昨年、所属していた合唱グループを辞めた。
主な原因は主催のパワハラで、最終的にはグループ専用のLINEグループでわたしが主催に運営方法の問題などについて詰め寄り、グループメンバーから削除される、という形で辞め(させられ)た。が、主催以外の他のメンバーも酷いものだったし、一部の人間には後ろ足で砂をかけられたりとどめを刺されたようなものだと思っている。
1.
最初は公演のソリスト決めからだった。
この曲はこの人、この曲はこの人……。わたしの所属していた団体では主催が曲のソリストを指定していて、公募や立候補はほとんどなかった。主催がスカウトしてきたという新メンバーも、当然のようにソリストに指名された。ソロが決まったら次は数小節だけ目立つ個人の独唱パートを決める。この曲のこの部分はこの人、この曲のこの部分はこの人。コロナでずっと休んでいたこの人は以前にこのパートをやっていたから、またお願いしましょう……と古株の女性がフォローする。
あ、これ、わたしの番はこないんだ。
ふいに気付いてしまった。主催が次々とスカウトする(女声ばかりの)人材。ライブ経験も多く、何度もソロをやっているベテラン。コロナで休んでいたけど数年ぶりに戻ってきた(だから現時点ではどの程度歌えるのかも実際の所わからない)人達。指名されるべき人は沢山いて、だから今後、ソロの経験もろくにないわたしが、やってみなよと声を掛けられることはきっとない。コロナでメンバーが少なくなっていた頃、わたしにソロを振ってくれた人は方針の違いで去ってしまっていた。歌詞が好きでやってみたいなと思っていた曲のソリストは、わたしが躊躇っている間にずっとお休みしていた他のメンバーが手を上げて、それで決まってしまった。
もっと言えば、そもそもソロがふられない女声の方が少ないのだった。テナーの声域が出て楽器演奏もできる女性とアルトの女性、そしてソプラノのわたし。それ以外の女声は何かしら主催からソロを振られているのだと、今更のようにわたしは気付いたのだった。
ソロの選定が終わってから、主催はわたしにメンバーのパート整理を依頼した。依頼というより、彼が皆の前でそう発言した時点で、それは確定事項なのだった。巻きおこる拍手の中わたしは、ああしまった自分は目立ちすぎてしまったと思うのと同時に、前年の飲み会での主催の言葉を思い出していた。わたしは楽譜が読めていつも他のメンバーのフォローをしていたから団体メンバーに加えた、そう彼は言っていた。ライブ経験者ばかりのこの団体にどうして自分は参加できたのだろうとは参加当初からずっと思っていたことだった。こういうことか、とわたしは思った。他のメンバーのフォローとは、わたしに期待されているのは、つまりこういうことなのか。パート整理は去年もやっていて、主催のわたしへの指名は要するに去年の功績を称えてということなのだった。でもわたしは主催のためにやったつもりではなかったし、主催の口ぶりにいらいらした。
わたしの番は来ない。
わたしにソロが振られたのはわたしが歌えるようになったからではなく、振ってくれる心優しい人がいたからで、だから体制が変わればそんなことは起こらない。代わりにパート整理の業務が振られる。そういう、位置づけ。
我ながら傲慢になったな、とわたしは思った。この団体に入ったばかりの頃はなぜ自分がこの団体に参加できているのだろうとおどおどして、ソロに指名されないのは当然だと思っていたのに。コロナでメンバーが少なくわたしがソロに指名されていたここ数年が、むしろイレギュラーだったのだ。主催はわたしが団体に参加した当初から、自分はその曲に相応しい人材をソリストとして当てているのだと主張しており(ただしその人選に著しい偏りがあることは誰もが認識していた)、誰の意見を聞く気も無い様子だったから、団体に入ったばかりのわたしは主催の目に止まって下手な怒りを買わぬよう、活動全般にあまり入り込みすぎないようにしようと思っていたのだった。歌詞がとても好きなだったあの曲も、この曲のソロをやりたいとわたしが一番最初に手を上げたとしても主催は芳しい反応をしなかったのだろうな……そんなことも思った。
パート分担を整理するためのエクセル表を作るのには時間がかかった。色々と用事が重なっているからと自分に言い訳していたが、作業に向かう気がなかなか起きなかったというのが本音だった。色々機能をつけたほうがメンバーには便利だろうなと思いつつ、とりあえずデータを打ち込んだ状態でもういいやと公開した。後日、練習でメンバーの一人からお礼を言われたのは嬉しかった。
2.
その年は公演曲には練習の進行役がひとりずつ決められることになって、わたしもうち一曲を担当するよう依頼された。
主催が最初に、進行役をしていた私の言葉を遮り否定して(楽譜の細かいところしか読まない、と言われてびっくりした)練習を進めようとした時、わたしは知人に相談した。正確にはタイムラインのつぶやきに知人(Aとする)が反応して、Aを含めたメンバー何人かによるLINEグループを作ってくれたのだが、わたしはとても嬉しかった。
が。
「あの人はいつもそうだよ」「何を言っても無駄だから」「対応策の正解はちょっとないんだよね」「いろいろ言うとLINEの個人アカウント宛に長文を送ってきて、あれはあなたもメンタルやられると思う」
そうなんだ、困ったなー、長文LINEはいやだなー……そんな感じのことをわたしは返信したと思う。期待した反応ではなかったが、吐き出せる場所があるのはいいことだ、そう思った。
それから暫くして、Aを含む少人数の飲み会でも愚痴をこぼす機会があった。その頃にはわたしも、主催の言動が随分辛くなっていた。例えば、わたしが作ったオンラインで編集できるパート表は主催には使いにくかったらしく、こういうことをするなら事前に相談して欲しいと団体用のLINEグループで言われたこと。AのLINEグループのメンバー数人が主催に言い返す形でフォローしてくれたが、ショックだった。あるいは練習の時、進行役のわたしの言葉が再び主催によって遮られ、わたしを無視して事が進められたこと。練習終了後、自分は進行役を辞めるので今後は主催が担当してほしいとわたしはメンバー全員の前で主催に告げた。その次の練習時、主催は、◯◯さんが進行役を辞めたのは自分の曲に対する思い入れが強く〇〇さんは遠慮してしまったのだ、大変申し訳なかったと言って皆の前でわたしに頭を下げた。この件はこれで終わりだからもう誰も文句を言うな。そう言われた気持ちだった。
練習後まっすぐ帰る気には到底なれず、わたしは立ち飲み屋に寄った。しばらくするとAがやってきて、大変でしたねと笑いながらわたしの背を叩いた。◯◯さん怒ってるなって思ってたよ。
わたしは白ワイン、Aは日本酒を頼んだ。これまで主催に意見したり議論した人はいるか、わたしはAに訊ねた。いない、とAは応えた。主催のああした言動は初めてではないが、みんな黙って去っていったという。なるほど、とわたしは頷いた。じゃあひとりくらい、そういう人がいてもいいよね。どうせ無視されるよ、とAは言った。でなければ、長文LINEが送られてくるか。
じゃあ、グループLINEで言えばいい。
言いながらわたしは自分の言葉に納得した。もともとLINEでの一対一のやり取りは密室感があって苦手なのだ。こちらの人格を否定するような長文が送られてくる可能性があるならなおさらだ。(余談だが主催は逆に、様々なやり取りを個人間で行おうとするタイプだった)。わたしの言葉にたぶん、Aはぎょっとした顔をしたのだと思う。いやでも、とAは言った。そうしたら自分の知らないところでこんな酷いことがあったのかってショックを受ける人もいると思うし……、
それが、わたしに、何の関係が?
言葉をわたしは遮った。すいません、とAは口をつぐみ、それは確かにそうだ、と小さい声で言い添えた。わたしは黙ったままだった。少ししてから、Aは更にこう言った。わたし達が主催をここまでつけあがらせたのかも知れない。わたしは黙っていた。その通りだよ、と思っていた。
話を飲み会の場面に戻す。
飲み会の店に最初に来たのはわたしとAだった。その次に来たのはBで、彼女はAが作ったグループLINEのメンバーの一人であり、数ヶ月前に主催の言動が理由で活動を休む、とわたしに告げた人でもあった。Aから聞いたよ。開口一番、彼女は言った。◯◯さん、主催にグループLINEでぶちかますつもりだって?
進行役を辞めたこと、それについて主催から禊のためだけのような形式的な謝罪をされたことを、AのグループLINEでわたしは報告していなかった。Bのように練習に出ていない人にわたしの置かれた状況を理解してもらうためには報告すべきだとわかっていたが、正直起こったことをゼロベースで説明するのは億劫だったし(これは、ソリストの選定などの件はあまりに傲慢な話で相談できないと当時のわたしが思っていたとか、個人的には辛いけれど言えないと思いこんでいたものがあったというのもあるのではないか……と今にして思う)、後述するが他にも色々なことが重なって報告すべき出来事はどんどん増えていたからだった。ついでに言えば、どうしてわたしがそこまで頑張って説明しなければいけないのだろうという思いもあった。Aなど、すでに状況を把握している人はいるのだからそちらから伝わることもあるだろうとも思った。その一方でこの件についてどうして誰もわたしに何も言ってくれないのだろうと思い、そのたびに、いやいやそもそもわたしが何も報告していないのだから……と言い聞かせていた。
そうではなかった。
確かにみんな、わたしが説明しなくともわたしの置かれた状況は知っていたのだった。わたしの予想通り、Aなど状況を把握している人から話は伝わっていた。……そうして皆で盛り上がっていたのか、と当時のわたしは思った。わたしについて。わたしのいない場所で。だけどもしそうなら、あの時すいませんと小声で謝罪した、Aの言葉は何だったというのだろう。現実のわたしはBにそうだよーとへらへらと笑い、そして飲み会が始まった。
飲み会には主催の言動が理由でグループの活動を休もうと思っているメンバーがいて、あなたはどうするのか、休むのかとわたしは訊ねられた。正直わたしはもう離れたかった。だけどまだ公演スケジュールは残っていて、歌っている曲は好きで、わたしは所属団体以外に音楽のできる場所を他に知らず、ゼロから探さなければならない……そんなことを説明した。
「でも、また歌えばいいじゃない」
そう言ったのはBで、わたしは苦い気持ちになった。あなたは合唱だけでなく、5年ほど続いているバンドのバンマスもしている。学生時代の繋がりで参加できる合唱団もある。パートナーの繋がりで参加できる合唱団もある。だけどわたしには何も無い。その不均衡を全部まるっと無視した、「また歌えばいいじゃない」という「正論」あるいは「励まし」。
「いやほら、別に歌に限らなくたっていいわけだから」
横からそう言ったのはAだった。そうだね、とわたしは笑った。前からも後ろからも殴りつけられたような気持ちだった。どうしてこの会話の流れでそんなフォローになるの? いや、きっとAは他人が決めつける話じゃないと言いたいんだ、わたしは歌以外の何かをしたほうがいいってこと? いやAはわたしがテキスト創作をやっているのも知っているから、わたしの歌には価値がないってこと? 「リベンジはしたいかな」と、わたしは言った。歌ってみたいソロがあったけど、手を上げるのが遅くて歌えなかったから。代理で歌ってもみんな、わたしの声なんか誰も、ひとりも聞こえなかったみたいだから。わたしがそう言った、その時だけはみな済まなそうな、痛ましそうな顔をした。
グループLINEで主催に意見すると言ったからだろうか。ここまで言わなければ、わたしの辛さは伝わらないのだろうか。そもそもこの会はわたしを心配してのものだと、そう思っていたのが間違いだったのだろうか。
前からも後ろからも殴られたような気持ちは飲み会の最後まで消えず、むしろ強くなるばかりだった。
3.
「ああ、◯◯さんも歌ってたんだ、ありがとう」
そのソロは最後の高音をソリストもなかなか出せなくて、だから練習中は、その部分は高音の出せるソプラノみんなで歌うことになっていた。この音が歌える人はいますか、とその曲の進行役が訊ねたので、わたしも手を上げた。だがソリストだけでなくわたしも、誰も、練習中にその高音部を出せた人はいなかった。
本番前の最後の練習でわたしは進行役にそう言われた。「ああ、◯◯さんも歌ってたんだ、(全然気づかなかったけれど・声が出るわけもないだろうけれど)ありがとう」。もちろん、()内の声はわたしの妄想による補完、つまり妄想だ。高音を出せていなかったのだから気づかなくても仕方ないかも知れない……そう思いながら、ショックはじわじわと広がってた。きっとできの悪い生徒にもこういう言い方をするんだろうな、とわたしは思った。まとめ役のその女性は楽器を教えていて、ソリストを決める際に主催のフォローをしていた人だった。わたしは笑ってごまかした。
数日後、公演リハーサルでソリストはやはり高音が出せず、わたしの声だけが細く響いていた。曲が終わり、落ち込むソリストにメンバーが声をかける。誰も出ない声域なんだから仕方ないよ。……だれも?
リハ終了後、ソリストに声をかけられた。ごめんなさい、と彼女は言った。リハの時はわたしだけが歌うつもりで、他の人にはそう言ってたんだけど、あなたも歌ってたって知らなかったの。本当にごめんなさい。
……進行役は知ってたのに?
ソリストの言葉は続く。それでね、進行役の人とも相談したんだけど、本当に図々しくて申し訳ないんだけど、本番直前のリハーサルでもわたしの声が出なかったら、◯◯さんに代わりに歌ってもらえないかなって、ごめんね、コミュニケーション不足で本当にごめんね……。わたしは頷いた。ソリストの顔は一度も見なかった。その曲はとても好きな曲で個人的に大切な曲で、だから、どんな立場であろうとも歌いたかった。帰宅してからリハーサルの録音を聞いた。細く微かだけれど、わたしの声は確かに聞こえた。
その日の深夜、ソリストからLINEが来た。主催からの指示で、当日のリハでソリストの声が出ない場合は曲の演奏自体を辞めることになったという。「了解です!」コウペンちゃんのスタンプを送ることでわたしは返信に代えた。結局、この公演では曲の演奏自体が取りやめになり、翌月の公演でソリストはソロを成功させ、皆に祝われていた。
よかったよねえ。
打ち上げの席でそう言ったのはこうした経緯を何も知らないだろうメンバーで、わたしは進行役と笑いながら頷いた。
団体を辞めたのは、それから2ヶ月ほど後のことだ。
進行役の件について、わたしは書かなかった。ただ、短期間で複数公演をすること、それを急遽決定したことでメンバーに大きな負担がかかっていること、場合によっては公演によって同じ曲の別パートを歌っている人もいることを公演曲や公演日程を決定する立場としてどこまで把握していたのか、そうした点について今後どのように改善するつもりなのか、そんなことをグループlineで主催に聞いた。
自分のやり方が合わないなら別の所に行った方がいい、と主催は返信してきた。今回のツアーについては自分も反省している、今後はメンバーの練習参加頻度を考慮して出演者を決定する……等々、いろいろ書いていたが、要は自分のやり方は間違っていないし変える必要もないと考えているのだろう、そう思ったので、そう返信した。
あなたの言葉に傷つく人がいるから。わたしに文句が言いたいならわたしの個人アカウント宛に言ってください。そう言って、主催はわたしをグループLINEから締め出した。かつてのAと殆ど同じ台詞に、わたしは一人混乱した。
4
「また歌えばいいじゃない」
「別に歌に限らなくたっていいわけだから」
「ああ、◯◯さんも歌ってたんだ、ありがとう」
団体を辞めた後も、これらの言葉が何度か頭をよぎった。主催についてはいい。いやよくはないが、少なくとも団体運営に関して指摘すべきことは指摘することができた、と思っている。けれどもこれらの言葉については決着が付いていなかった。ただ、今にして思えば主催に向けた怒りの一部は、これらの(主催が発したのではない)言葉への怒りも含まれていたのだと思う。
既に何度か書いているが、わたしは団体内で唯一の「ずぶの素人」だった。団体に参加することになった数ヶ月前にボーカル教室に通いだしたくらいで、ライブになんて出たこともない。絶対音感もないしコードもわからない、すぐに音取りができるわけでもない。なんでわたしがこの団体に入れたのかと困惑したし、一時はいつお払い箱通告が来るかと怯えていた。それでも齧り付いていくんだ、と。そんな言葉に見合うほどの大変な努力をしてきたとはお世辞にも言えないが(練習にはほぼ毎回参加していたくらいだろうか)、それでもそう思っていた。
たぶんこの人はわたしを内心で見下しているだろう、いや眼中にもない、スタッフか何かだと思っているのだろう、そう感じる人もいた。練習の進行役を担当していたメンバーからソロを振られ初めてのソロを歌っても、良かったよとか、声をかけてくれるメンバーは殆どいなかった。いや期待しすぎだから、とわたしは言い聞かせた。わたしはまだまだ下手だから。みんなはもっと上手いから。
どんな組織であろうとも、所属していれば「染まる」のだと思う。
わたしの所属していたグループに、主催が立派な指導者で運営能力に優れていると思っているメンバーはおそらく一人もいなかったが(このように主催を慕うような派閥ができない状態はある意味非常に珍しい、とはメンバーの一人の指摘で、それは確かに、とわたしも思ったし、だからこそLINEグループで主催に意見しても所謂シンパからの攻撃は無いなと判断した)、その一方で、わたし含む団体メンバーが主催の価値観に染められていた、内面化していた部分もあったと思う。
すなわち、ソリストには誰が選ばれるべきなのか、ということ。
主催がスカウトしてソロをやらせると決めた人は無条件に素晴らしいシンガーとして迎え入れられたが(実際ライブ経験のある人が多かったのである意味これは間違ってはいなかった)、これは逆に言えば、ソロに指名されない人間は音楽能力が低いと目されていた、ということなのだと思う。
もちろんこれは個人差があって、例えばわたしをソロに指名してくれた人などは過去に別の合唱団に所属していた経験などもあってか、できるだけ多くの人にソロを経験させようと意識していたと思う(そうした経験は人を成長させる、という信念もあっただろうし、わたしも自分の体験からそう思う)。だが基本的に、主催の決定に異を唱える人は常に、殆どいなかった。ソリストに指名された側からすれば、異を唱える必要さえなかっただろう。そもそも理由がない。
ソリストに選ばれない自分は歌が下手だ。そういう価値観を、わたしも内面化していたのだと思う。誰に言われるまでもなく最初からそう思っていたのだから、非常に都合が良かっただろう。それでも思いがけずソロを振られたり、団体の外での経験を積むことで多少なりとも自信を築いていったつもりだった。
……だけどコロナを経てメンバーが減って、そんな中でもずっと一緒にやってきた、このひともこのひとも内心ではわたしを見下していたのか。
主催のパワハラやえこひいきにも腹が立ったけれど、それでも怒ることはできた。わたしにとどめを刺したのは主催ではなく、他のメンバーからの言葉だった。Aの作成してくれたLINEグループにはわたしを心配して声を掛けてくれる人もいたが、過日の飲み会でのAやBの発言はもちろん、進行役の言動についてわたしは言いだす勇気がもてなかった。主催の悪口を言えば皆が同意してくれるだろうとは確信を持って思えたが、それ以外のメンバーの言動が辛いのだとわたしが言った時に自分の側に立ってくれる人がどれだけいるのか、わたしにはわからなかった。過日のソリストの件についてわたしがLINEグループで話した時も、一連の経緯に憤慨してくれた人もいたが、やがて当日わたしの声が他のメンバーに聞こえたかどうかという話にすり替わっていった。他のメンバーにわたしの声がわたしの声と判別されなかったら、わたしの辛さは間違っているということになるのだろうか?
わたしはそんなに下手で、声も小さくて、だから誰にも何も言われないのは仕方ないんだろうか。
(お前の歌が下手だから、努力もアピールもしなかったからこんな目に遭ったんだ)
そんな筈はない、とわたしは自分に言い聞かせた。主催はわたし以外にも横暴な態度を取っていたし、どんなに下手でも誰かに馬鹿にされる筋合いはない。けれど、言い聞かせても声は頭の中に巣食ってしまった。
それはもしかしたらコロナ(とその後遺症)による抑うつの影響もあったかも知れないし、今となってはわからない。わたしがコロナになったのは団体を辞めてから2週間後のことだった。
6.
主催に謝罪するから団体に戻れないだろうか、と、AのグループLINEに書き込んだのは10月の連休末のことだった。8月後半からわたしはコロナ後遺症を発症し、別団体の公演は欠席した。30分散歩するだけで疲れるから在宅勤務の日数を増やしてもらい、後遺症対応病院でいくつかの薬を処方してもらって一ヶ月、症状は少しずつ改善していると思っていた。11月末には歌と楽器演奏で参加する会があって、それにはどうにか参加したかった。
わたしの所属していた団体は連休中に地方公演に出ていた。メンバー全員をわたしはtwitterでフォローしていたわけではなかったけれど、旅行の写真は次々にタイムラインに流れてくる。団体名も関係者名もミュートしたりブロックしたりしてもなお……いや正直に言えば、当時のわたしはそれを自ら見に行っていたのだった。旅行先での楽しげなtweet。かつてわたしも歌った曲の動画。嫌なら見なければいいとわかっていたのに、わたしはそうすることができなかった。
連休中、わたしは新しいボーカル教室の見学に行っていた。目標はなんですか、何を歌いたいですか。体験教室の冒頭、講師に言われてわたしは答に困った。
……コーラスグループに所属していて。
口にしたのは今となっては過去になった設定だった。でも声が小さいから、ソロをするには声量がたりなくて。大丈夫ですよ、と講師は言った。いい声ですから、もっと響かせられるようになりますよ。それが生徒獲得のための言葉だとわかりつつ、わたしは泣きそうになっていた。
取り戻さなければ、と当時のわたしは思ったのだった。団体から離れてもわたしの中にはあの場所で聞かされたわたしを下に見る言葉が巣食っていた。それを解決するには土俵に乗って勝ち上がるか、土俵や評価軸など存在しないところに行くか、そのどちらかだとわたしは知っていて、後者を選ぼうと思っていたはずだった。
戻りたい、とLINEした翌日にポストを削除したと思っていた。
その後、別のメンバーから気遣うようなLINEが来て、ああ消してしまったメッセージを見てしまったのだなと思い、気遣わせてしまってごめんなさい、と返信した。
いや、消したメッセージは他のメンバーにはまだ見えてるんで……戻る気ないならいいですけど。
Aの返信に血の気が引いた。
ごめんなさいごめんなさい、とわたしは謝った。もう他のメンバーと会えないと思ったら辛くなってしまったんです、ごめんなさい。
……経緯はわかりました。まあまた飲みに行きましょう。
本当にすいません、と。顔文字を付けおどけながらわたしは謝った。翌日、オフラインでA に会ったときにも謝った。よくあることだから、とAは言った。飲みに誘われたが、わたしは旅行の予定があり断った。
LINEの翌日からわたしの体調と精神状態は急激に悪化したが、予約もあるのでキャンセルはしなかった。旅行中はよく歩く場面も多く、倦怠感症状は更に悪化した。
一度、AやBのいるスタジオに別バンドの練習で行った。3~4時間あった練習時間でわたしは殆ど歌わず、別バンドのメンバーにはこれまでの経緯を話していた。歌ったのは休憩を挟みながら二時間程度だろうか。練習後はソファに横になって二時間近く休み、帰宅した。
ベッドから起きられなくなったのはその2日後だ。
4月の公演に向けた合唱の練習は12月から始まっていたが、わたしが最初に行ったのは1月だった。コロナ後遺症で起きられなくなってから初めて行く合唱練習は、当日こそ元気だったが翌日は寝込んでショックだった。もしかしたら自分は公演には出られないのかもしれない。その予想が改めて現実味を帯びて迫ってくる。思い切って、久しぶりにAにLINEしたのはその頃のことだった。
数年前に貸した本を返してほしい、とわたしは書いた。練習にはできるだけ出ようと思っているが体調に自信がないとも。
昼休みの時間にLINEしたこともあり、Aからの返信はすぐに来た。ずっと借りていて申し訳なかったという謝罪から始まり練習には毎回本を持っていくこと、自分もお正月はひどい風邪を引いて練習に欠席したので気にしないでほしい。そんな内容だった。
……この人は、一体何を言っているんだろう。
11月の公演をわたしは欠席した。その日は3曲ほど、それぞれ別の人とアンサンブルをする予定だったが一つは欠番、残りの二つは残りのメンバーで演奏することになり、その旨はメンバーからもMCで報告された。公演にはAも参加していた。合唱公演のdiscordではメンバーリストにわたしの名がなく、それはわたしの体調が理由だとまとめ役から説明がされていた。点と点とを、Aが繋げるのは容易なはずだった。
話は突然変わるがわたしとAはどちらもピクミンのアプリをサービス開始したばかりの頃から使っていてアカウントを相互フォローしていた。ピクミンのアプリには「ウィークリーチャレンジ」というのがある。一週間で指定された歩数などを達成するとご褒美がもらえるシステムで、わたしとAはずっと一緒にそのウィークリーチャレンジをしていた。在宅勤務の多いAに対しわたしは出勤が多く、歩くのが好きだったのでチャレンジはいつも3日ほどで終わっていた。
コロナ後遺症で起きられなくなり、わたしの歩数は当然ながら激減した。一週間経過しても指定された歩数が達成できなかったのは、この時が初めてだったと思う(コロナ罹患当時はそもそもログインしていなかった)。一週間が経過するとユーザーの歩数が表示されるが、もっとも症状が重いころは1000歩あるかどうかだったのではないかと思うし、いつも通りの歩数で歩けるようになったのは12月に入ってからのことだ。何がいいたいかと言うと、後遺症が重かった当時、わたしは自分の状況をSNSでも殆ど書いていなかったし公演で一緒のメンバーにも詳細は伝えていなかったが、Aはわたしの状況を最も推測しやすい立場にいたということだ。
にも関わらず。にも関わらず、だ。
AのLINEの最後の一文にわたしはかっとした。こちらは正月の風邪なんて生易しい話ではない、そう言いたかった。公演に出られなかったら、いやもっと言えば、Aを含めた音楽関係の知り合いと今後何年も顔を合わせない、そんな状況も覚悟しての連絡だった今後音楽活動ができない状況になったとして、その時も彼らと笑って会えるか、当時のわたしには自信がなかったのだ。
有難うございます、とわたしは返した。お手数をおかけしますがどうぞよろしくお願いいたします。先日わたしも合唱の練習に出ましたが、翌日は一日寝込んでしまいました。まだ体調が本調子ではないようです。
Aからの返信はなかった。わたしのポストには既読マークだけが付いていた。
結局わたしが次に練習に出たのは翌月のことだった。
練習会場についたのはぎりぎりで、Aは既に付いていたがパートが違うため、わたしはすぐに視線をそらした。練習中に倦怠感が出たため休憩時間にはぎりぎりまで部屋の外で腹式呼吸を繰り返した。再開された練習は途中までは座って歌った。
練習はぎりぎりまで続いたので片付けは速やかに行う必要があった。新しく参加することになったメンバーに曲の演出などについて伝えたり他のメンバーと話したりしていると後ろから肩を叩かれた。Aだった。
渡さないと忘れそうだから、とAは言って袋を渡してきた。いつもハイテンションなキャラクターの人ではあるけれど、その日は特にそんな風に見えた。ありがとう、ちょっと待って。そう言って私はポチ袋を出した。去年の練習でお菓子買ってきてくれた分、お金渡せてなかったから。
わたしが後遺症で起きられなくなる前の最後の練習、数時間歌った後にソファでぐったりと休んだ日、Aは最寄り駅でわたしの分も含めたお菓子を買ってきてくれていたのだったが、その支払いをしないままその日わたしは帰宅してしまったのだった。ああそんなこともあったね、すっかり忘れてた、ありがとう。そう言ってAは袋を受け取り、すぐに後ろを向いた。先ほどわたしが曲の演出などを説明していた新メンバーがdiscordの操作方法についての質問を別メンバーにしていたのだ。ああ、それはね、ちょっと見せて……会話に加わり、Aは話し続ける。
少し待ったが会話は終わる様子がなく、わたしは先に帰ることにした。何しろひどく疲れていたのだ。
*
Aに渡したポチ袋に、わたしは600円入れていた。
実際にはお菓子代は330円だった。その日、バスの中で私はお菓子代が未払いであることを思い出したのだった。気を付けて帰ってね。そうLINEしてきたAと同じバンドメンバーに、だからわたしはありがとうと返信してからこう付け加えた。お菓子代の330円は後日渡すとAに伝えておいて。
倍返し、という言葉は某ドラマで有名になったが、わたしにとっては祖父のエピソードが印象深い。仕事でかかわりのある仲の悪い知人からお歳暮が来て、お返しはどうしますかと聞いた祖母に祖父は一言、倍返しにしろ、と答えたのだという。要はお前に借りなんぞ作りたくない、そういう意味なのだと母はわたしに説明した。
わたしの体調についてAが失念していたのか無視していたのかはわからない。いずれにせよLINEではその件についてその日以降も謝罪はなく、対面で問い詰めることは難しいだろうと考えていた。いやそもそも、指摘されたからと謝罪されて自分の気が済むとわたしには思えなかった。
そもそもAにはずっと腹が立っていたのだった。昨年の飲み会で「歌に拘らなくてもいい」と言ったこと。LINEでのやり取り。その他、およそ本人が忘れているだろう無神経な発言の数々。お世話になったから、愚痴を聞いてくれたからと蓋をしていたけれど、あれは酷いことだと、昨年末になってようやくわたしは自覚したのだった。が、それを今更Aに言ったところで、それで万が一謝罪されたところで自分の気が済むとはそれこそ到底思えなかった。
じゃあこのまま、言われっぱなしで自分は終わるのか?
そう思った時、思い出したのが祖父の倍返しのエピソードだった。お金を突き返すことは難しい。言葉と違って、Aはそれを受け取るしかないし、無視することもできないだろう。厄払いのようなものだ。
Aから渡された袋には本と一緒に、500円程度のチョコレートが入っていた。倍返しの分より多いな、と思ったが、考えないことにした。チョコレートは正直食べたいとは思えなかったので母に渡した。変な味のチョコレートね、と母は言い(お茶の味のチョコレートだった)、少しだけ渡されたので一口だけわたしも食べた。
ポチ袋を開いたAが何を思ったか、わたしは知らない。
それでも、それでわたしの気が済んでAに対する気持ちが即座にすっきりしたということはなかった。
11月公演のメンバーの公演に朗読でお邪魔した時は打ち上げで別の人との会話に割り込まれたし、4月の合唱公演の練習では公演当日、わたしの辞めた合唱団のチラシの挟み込みをしたいのだがどうすればいいかと練習後の打合せでまとめ役と話しているのが聞こえてパニックになった。
Aと会話することはなかった。練習前後のおしゃべりで同じ輪の中にいてもAとは視線すら合わなかったし、それまで当然のように誘われ付いて行っていた練習後のお茶などに誘われることもなかった。体調が理由で私は練習終了後すぐ帰り、Aはパンフレット作成などでまとめ役との打合せがあり、帰りが遅くなっていたのもある。
公演当日のリハーサルでAのバッグが小道具入れに使われてわたしの所に回ってきたため、ものすごく嫌だったがAに渡した。子供っぽい話だが、わたしはAと視線を全く合わせないままバッグを渡した。ありがとう、とぶっきらぼうに言ってAはバッグを受け取った。それが今のところ最後の会話だ。
そう、合唱公演にわたしは出演できたのだった。ソロも担当し、体調について知っていた指揮者やまとめ役には配慮していただきつつ、無事歌い終えた。他のメンバーからはありがたい感想を頂戴したりもした。
*
予想外に長い話になったが、これが昨年起きた事の経緯だ。たぶん、AにはAなりの、BにはBなりの、辞めた合唱団の主催にもそれぞれそれなりの事の経緯があるのだろうと思う。
知ったことか。